茶碗と茶垸 

昨日は近くの某会で茶碗講義を伺う。おそらくお茶人には或る程度知られていることだろうけれども、お稽古をしていない身にとっては、眼から鱗の話が多かった。

ところで、以前にも書いたように思うが、「お茶人」という表現にはどうも違和感を覚える。趣味人とか文化人とかと同じように考えるせいだろうか。自分のことを自分でお茶人ですという人は(たぶん)いなくて、「お茶人」というのはお茶を嗜む人の理想型を指している言葉である。ただ文脈によっては、お茶を習っているだけの人のことを指す場合もある。そのときにはう〜むと思わざるを得ない。。。

ともあれ、「茶碗」「茶盌」と「茶垸」(もう一つ、茶●もある。●の字は石偏に完)。別の概念とも言えるほどの違いがあるとは知らなかった。いや、そもそも「茶垸」という表現があることも知らなかった(しかもこちらの表現の方がより古い)。

「茶碗」が格下のものを指すのに対して、「茶垸」は格上を指す。したがってそれだけで茶碗を意味する天目を、天目茶碗と言うことは意味からしても、格の問題からしても奇妙なこととなる。

「茶碗」と「茶垸」。この両者はそのまま宗旦(茶碗)と遠州(茶垸)との違いであり、また話はそれだけにとどまらず、利休や秀吉へと繫がっていく(不昧は折衷型で両方の表現を使っていたらしい)。

「茶碗」は圧倒的に「樂茶碗」であり、「茶垸」は高麗茶垸である。同時代人、宗旦と遠州接触がなかったのも驚きだ。金閣寺の鳳林和尚は二人の知り合いで、宗旦がお金の無心に、遠州は銘のために訪ねたというから、どこかで接触があってもよさそうなものだ。宗旦は千家の茶を、遠州は数寄者の茶を遺す。意識的に避けたのだろうか。片や乞食宗旦、片や権勢凄まじい遠州。。。

さて格上の濃茶と格下の薄茶。鎌倉・室町においては、曜変、油滴、天目、茶碗という格付けがあり、濃茶に出せるのは曜変、油滴、天目まで、薄茶はそのほかの茶碗ということだったらしい。

講師曰く、現代(むろん利休から始まるが)では濃茶は廻し飲み、薄茶は各服点て。格上の濃茶が格下の飲み方で、格下の薄茶が格上の飲み方で、ねじれているのは奇妙では、と。

利休が「平等」の思想をもっていたかどうかはよく分からないし、そもそも現代語の「平等」をもって利休の思想を語ることには躊躇せざるを得ない(というよりも、当時「平等」がいかなる含意をもっていたか知らない。。。)。

皆差別なくというのなら、濃茶も薄茶も廻し飲みでよかったのではないかと考えたくなるのも事実だ。

天正十四年頃を境とする利休の革新には、唐物などに関する従来の格付けを否定し、誰もが気楽に(しかし利休の茶は長次郎に見られるようにどこか息苦しくだが)お茶を楽しめることを旨とすることが基本にある。古いものではなく、現在の素材で手易いものを使うことを提唱したのなら、尚更、飲み方も同一でよかったようにも思える。

ほかにもいろいろ興味深いお話はあったが、睡魔に襲われ、ここまで。。。