複数形への違和感

『テロワールとワインの造り手たち』という面白そうな本が出た。一段落したら読んでみたい本だ。

ところで、このタイトル。違和感がある。「たち」という「複数形」。この場合、自然な日本語では、「造り手」だろう。

欧語はたいてい単数か複数かを明示しなければ気がすまない言語だから、そのあたりの区別は結構うるさい。

それにひきかえ、日本語にはその点の区別が結構緩やかだ。

もちろん、山々、峰々、人々といった言い方もある。一方で、「人の声がする」と言ったからとて、声の主体が何人なのかは状況依存的だ。

複数形で表現することが流行になっているのは、集団であることを強調したいからだろう。日本的な共同性などというものとは無関係なのだろうけれども、ことさら「たち」と表現されると、どうも違和感を感じる。