Security

昨日の研究会はセキュリティーの変容をめぐって。プログラムはこちら

村上先生の古代ギリシャから現代までを通覧して、客観的な安全と主観的な安心の区別、最後に、preventive-precautionaryという2種の原理の区別をした上で、後者を「転ばぬ先の杖原理」と命名して、近年のセキュリティーの議論を総括したものは、科学哲学を研究してこられた先生ならではの興味深いもの。

近代的統治では、暴力と貧困からのセキュリティーが二大テーマをなし、そこに安全と自由という問題系が加わる。自由については、とくにモンテスキューベンサムの安全あっての自由という議論が現代的なセキュリティーの問題に大きく関わることだろう。

村上先生のお話の中で、さらに興味深かったのは、「気にかけないで済むこと」(sed=without, cura=concern)という意味から、近代的な意味へとセキュリティー概念が変容した際に果たしたプロテスタントの役割だ。

ルターやカルヴァンは心の平安はサタンの道具であり、確かな信仰とはまったく異なるものだと否定していた。つまり(心の平安という)「自然の地位」ではなく「恩寵の地位」に到達するために、勤勉に労働に励むべきとする「プロテスタンティズムの倫理」がセキュリティー概念の近代的定式化にも大きく関わっていたかもしれないということだ。

セキュリティーをめぐっては、討論者からのコメントに言説形成の問題や、小林先生の挑発的な議論にあったリベラル・デモクラシーや資本主義、戦争の問題との関わりなど、広範囲にわたる問題群がある。また(グローバル化の中での)メディアの問題も重要で外すことはできないだろう。まさに学際的な研究が必要なことを感じたRTだった。