8.15

朝日新聞でのインタビューもあり佐藤『八月十五日の神話』を少し読み返してみた。この本が出版されたのは2005年だ。その直後くらいに友人らに8月15日の親和性を話すと、一様に、否定的な態度だったことを覚えている。

さて、そこで指摘されているように、終戦記念日が8.15と決められたのは1963年5月14日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」という名称は、1982年4月13日。まさに戦後のことであり、いつが終戦、敗戦かを決めるのは事後的なものであるにせよ、いつを終わりと考えるかは戦後史を考える上で重要な意味をもっている。

8・15の神話は左右両陣営から歓迎されたが、米谷氏の論文そのほかから明らかなように、丸山の有名な論文もまさにその執筆過程から、8.15を捏造してしまう。あれを捏造と呼ぶか、有用なフィクションと考えるかは意見が分かれる。

ただ8・15を終戦=敗戦だとする認識は、まさに国内の、それも本土にのみ自閉して戦争を考える態度を醸成してしまったことは否めないだろう。

ポツダム宣言受諾の8.14、降伏調印の9.2が日付としてよいのか。佐藤氏のように、戦没者を追悼する日を8.15、平和を祈念する日を9.2としてもよいだろう。

毎年8.15を中心として、メディアで大量に流される個人的な経験の洪水は、ナラティヴの重要性を否定するつもりはないけれども、真摯にあの戦争に向き合う態度を醸成するか疑問だし、戦争を運命的なものに解消してしまうだけのようにも思われる。

佐藤氏が紹介している坂野氏の言は、8.15を考える上で、改めて重要かもしれない。

「八月十五日にみんな二度と戦争をしないと誓います。あれは日本が戦争をやって、こてんぱんにまけた日です。やってみて負けた日に、「もう、懲りた」と言うのは不戦の誓いですか。せめて不戦の誓いをするなら十二月八日のパール・ハーバーとか、九月十八日、七月七日。覚えきれないくらい侵略しています。・・・。・・・八月十五日に大胸はって、「もう二度と戦争はしない」と言うのはちょっと格好悪いんじゃないですか。調子に乗って言うと、ちょっと卑怯なんじゃないでしょうか。」