いただきます雑感

食事をとる前に、両手を合わせて「いただきます」と言うのは、元来は、神仏と共に食事をとることを意味していたとどこかで読んだ覚えがある。

昨今は、食べ物への感謝という意味合いで、あるいは、食べ物をいただけることに感謝して、「いただきます」と言う解釈が多いように見受けられる。

非常にありふれた図式で言うなら、世俗化した社会では、神仏もあったものではなく、ただ眼前の食物に、せめて、感謝をささげようということなのかもしれない。

ただこの態度には、どうも違和感を覚えてしまう。

単にありふれた食材、慣れ親しんだ食材だからといった理由で、畜産工場のひどい実態や動物が受ける苦痛に対して鈍感な態度のままで肉食を続けてよいのだろうかと学生に問う中で、一番多いのは、そんなことを言っても仕方が無い、命をいただくのだから、ただ感謝すればいいのだという答えだ。

ヴェジタリアンに対する日本人の反応で最も多いのが、このタイプだろう。

植物と言えど、生きているものであって、動物とさして違わない。あるいは、生きているものを食べて生きていく宿業を負わされているのが人間であって、云々。

ここには、どうもまやかしというか、思考停止があるように思われる。

一般に思われているほど、人間と動物の違いは自明のものではないし、そうであるならば、肉食には、もう少し考えを進めてもいいものだ。

尤も、こう言いつつも、魚を食べている自分がいるし、牛や豚、鳥でさえ、ヴィーガンと異なって、つい食べてしまう。

これが人間の業の深さか。いや、単に知行合一の難しさというところだろうか。

肉食の問題は、いまだ喉につかえて取れない棘のように、すっきりしない。。。