降りてゆく生き方

先日、降りてゆく生き方」のプレ上映会に行った。場所は池袋のたまにはTsukiでも眺めましょ

この映画を知ったのも、このお店に来ていたお客さんからで、興味深いと思ったのは、映画は基本的に自主上映であるということ。

商業ベースに乗せたのでは、ただ見て終わりになってしまう。そうではなく、映画が一つの機縁になるようなものとして使えないかという発想だ。

自主上映が決まれば、プレ上映会を何度も開き、視聴者が互いに話をして、それぞれの考えや感想から何かを掴み、繋がり、次へと繋げてゆく。

先日の折も「繋がり」が一つのキーワードだった。これは、公共的なるものの構築とも言えるのではないか。

分断された社会の中で、公共的なるものを作り上げてゆくものとして映画を使うという発想は、その意味で、興味深い。

映画を作る際にも、多くのボランティアが関わり、出演者は2千人近くにのぼるという。むろん出演者はオーディションであり、これも単なるオーディションではなく、履歴書などの提出のない、自己表現の場としてのオーディションだったらしい。

作る現場から、公共的なるものを目指そうとした映画は、それを公開する段においても、やはり人々につながりをもたらそうということから、自主上映、そしてプレ上映会という形で、社会的な問題意識を喚起する。

デモや、サークル、勉強会、シンポジウムといった旧来の媒体以上に、視覚と聴覚に訴える物語性のある媒体として映画は格好のものだ。しかも、それは単に観て勉強になったというものではなく、そこに何がしかの共同性というか公共性を芽生えさせることに繋がっている。

今年はこうした社会的な運動により積極的にコミットしようと思っているが、なぜか妙に仕事に追われているのも事実で、なかなか思うようにはいかない。。。