聖書からの引用

某原稿のために、申命記8.3からの引用をしようと思い、当該箇所をそのまま引用している『マタイ』の当該部分につけられた田川氏の脚注を見て驚く。

以前、引用した際には、旧約なので、新共同訳でよいかと思い、そこからそのまま引用したのだが、田川氏によると、新共同訳は、ヘブライ語原文を訳出していると謳いながら、当該箇所は、ギリシャ語で書かれた七十人訳を訳出しているとのこと。

当該部分とは、「人間はパンだけで生きるのではない。神の口から出るすべての言葉によって生きる」というところ。これはマタイの部分、そして七十人訳もこの通り。

しかし、ヘブライ語原文からの訳では、「神の口から出るすべてのもの」としかならないらしい。つまり「言葉」がないと。

確かに、口から出るものとなると、言葉くらいしかないかなとも思うが、単なる音もあるわけで、しかも田川氏曰く「ここはヘブライ語原文と七十人訳の表現が異なることで有名な句なのだから、こういうところは厳密に訳してくれないと困る」ということになるらしい。

言葉。この場合は、logosだろうか、この言葉が入ると入らないとでは、結構、大きな差が生まれてくるように思う。

いずれにしても、生半可に聖書にしろ、他分野のことを引き合いに出す場合には、こうした些細な点だが、重要な点を見過ごさないよう気をつけないといけないと思った次第。