現代の囲い込み

17世紀の羊毛生産を目的にした囲い込みと異なり、18世紀の囲い込みは、農業生産のためのものだった。

この囲い込みによって、膨大な数の人々が土地を追われ、都市になだれ込んだ。とくに共同地を不法に占拠していた人々が追われる様は、現代日本で、公共の空間が喪失して、あらゆる土地が「私有化」する事態に似ている。

I氏が日記に書いていたが、自由には責任が伴うという言説は本当にいつから言われたのかと思いつつ、F.イーデンの次の言葉が脳裏に浮かんだ。

「自力でやってこれた人でも困窮に陥ることがあるということは、自由の当然の結果なのだ」ブリッグズ『イングランド社会史』274頁

この言葉そのものは、当時の歴史的状況の中で言われているもので、なんとも複雑なニュアンスをもつが、先ほどの自由には責任が伴うという標語は正しくは、自由には困窮が付きまとう、ではないのか。

いや、先ほどの標語は政治的なもので、困窮は経済的なものだと言うこともできる。

しかし自由に責任が伴うというのは、発言の自由を主張するのであれば、他者の発言の自由をも認めるべきだといった意味で、あくまで、その自由を守ることに関して言われる場合には真実であるが、それ以外には根拠はない。

自由であることには困窮が付きまとうということについて見ると、規則に縛られず、自由に生きて行こうとするなら、まず直面するのは金銭的な問題だ。社会の要請にのっとった生活をしている方が困窮に陥ることは少ない。

ところが、現代では、ワーキングプアのように、社会のレールに即した生活すらもが、困窮への道になっていることは、なんたることだろうか。