論文と作文

田母神俊雄・航空幕僚長の論文「日本は侵略国家であったのか」が世間を賑わせている。

審査委員長は渡辺昇一氏であるので、まぁ、あのような内容が最優秀藤誠志賞に選ばれたのは当然といえば、当然かもしれない。

しかも、「真の近現代史観」というタイトルも、自由主義史観の焼き直しのようで、なんとも。。。歴史に「真」がつくと、たいていろくなことにはならない。歴史を学べば、「真」という形容をつけることなど、とてもできないのではないか。

大学受験の科目に「小論文」などとあるように、日本社会では、論文と作文の区別が曖昧というか、作文は小学生くらいが書く文章で、高校生くらいからは、作文を論文と呼ぶようである。

上の田母神氏のものは、作文でしかない。あれを論文と表現すること自体がおかしい。

おそらく、日々近現代史のことを学ぶ機会があったのだろう。生半可に知識を得ると、いっぱしのことを書きたくなるのは理解できなくはない。

その意味で、自戒もこめて、この事件を見守っているのだが、田母神氏の受け答えから見ると、なんでこんな大事件になっているのか理解ができない様子。

あのような認識が当然の世界に生きているのかもしれないし、あるいは、誰かに書かせられたのだろうか。それとも、もっと政治的な画策だろうか。。。