沖縄、アレヴィ

沖縄ノート』訴訟で大阪地裁は、大江氏を訴えた原告の請求を棄却した。1970年に出たこの本が今頃訴訟の対象になったのは、「軍の関与」や「愛国心」をめぐる近年の「保守」の動きが関連していることだろう。

訴訟を離れるが、問題は保守の論壇で議論されることがあまりに幼稚なことだ。戦争の問題を考える際に資料などの「事実」に即するのは歴史のイロハだが、そこに「想像力」が欠けてしまっては詰まらないことになる。

「特攻隊を志願する者、一歩前へ」という選択の余地のほとんどない状況に追い込まれた人々を指して、特攻隊志願者は自発的で、そこに強制などなかったと断じるのがあまりに愚かしいことと同じだ。

保守が幼稚だというのは、些細な論点ばかりをあげつらうことに終始しているからだ。神は細部に宿るかもしれないが、あれでは、与党のちょっとしたスキャンダルに噛み付いて重要な審議を進めない野党の戦略と同じでいただけない。

ところで「エリ・アレヴィ」という珍しい名前を、『内田樹の研究室』で目にした。アレヴィは『哲学的急進派の成立』を書いたフランス人で、功利主義研究者には有名な人物である。

某先生がフランス知性史をアレヴィ中心に書いておられるはずで、Wikipediaにもあるように、面白い関係がみてとれる。

アレヴィがユダヤ人の家系だというのも実は初めて知ったが、祖父がユダヤ人の音楽家であり、またその娘ジュヌヴィエーヴは父親の愛弟子のビゼーと結婚している。ビゼー死後、サロンを主宰し、そこにプルーストが出入りしていて、『失われた時を求めて』ゲルマンテ大公妃のモデルにしているらしい(この辺りは某先生からも伺ったことがある)。

ニーチェが感激したことで有名な作品であるビゼーの『カルメン』の台本は、アレヴィの祖父の弟の子が書いている。アレヴィ自身は音楽関係ではなく、イギリスの歴史や宗教などを研究して、現代に一応名を残している。

知性史という分野にもいろいろあるけれども、こうした人間関係の面白さは確かにある。

さて昨晩から鼻の調子がまた悪い。花粉症の再発かと思ったが、もしかして風邪だろうか。。。