スロヴァキアフィル

数年前、スロヴァキアのバンスカー・ビストリツァで、地元のオケと地元の合唱団に加わって第九を歌ったことがある。屋外でのコンサートだったので、オケの音に合わせて小鳥が囀ったり、心地よい風が流れたり、夕暮れ時に始まったコンサートが終わる頃には辺りは闇に覆われて、城壁が美しく光っていた。

さて、その折、ブラチスラヴァにも立ち寄ってバレエを観劇した。プロフィエフの『ロミオとジュリエット』。オケも上手く、心地よい時間を過ごした記憶があった。

そうしたことを思い出しながら、昨晩ご招待いただいた東京オペラシティでのスロヴァキアフィルのコンサートへ。

入場してきたオケの団員には結構高齢な人も目立った。社会主義時代に人生の大半を過ごしたことがもつある種独特な雰囲気を感じさせる。

社会主義の理想を地上に実現させんとした壮大な実験は自由の抑圧や貧困などの資本主義国以上の過酷な現実を生み失敗に終わったわけだが、それは単に社会主義の自己運動によるものだけではなくて、かつてカーが指摘したような周辺諸国、就中、西側諸国との政治的対立の関係が自由の逼迫へと大いに影響したことだろうから、現在のように剥き出しの経済的政治的暴力が吹き荒れる状況では、欧州での社民勢力のように社会主義的な理念は一定の役割をまたもつのかもしれない。

ともあれ今回のコンサートは、セビリアの理髪師ショパンのピアノ協奏曲、ブラームスの1番というプログラム。

指揮は服部譲二氏。全身を使ってテンポをとる姿勢には、そんなに頑張らなくともオケはちゃんとリズムをとれるのではと感じつつ、まとめ方が上手い。コンサートの前のトークでも誠実な人柄が感じられて好感が持てる。

演奏は予想外によかった。弦の力が足りないとブラームスの1番などは辛いかなと思っていたけれども、艶やかな弦の音は時に力強く鳴り響く。

細部のテクニックをあれこれ言うと興ざめになるくらいで、全体として、よくまとまっていた。ホールの音響特性なのだろうか、低音が随分と響いた。2階席ではそんなことはなかったから、これはオケの特徴なのかもしれない。

コントラバスの音がずんずんと響いてオケを支え、チェロやヴィオラの音ものびがあって聴かせる。ティンパニだけは前半の人との落差が凄くて、勿体無かったが、これはまぁ東欧から遠征してくる場合、できるだけ多くの団員が演奏に加わらないとならないという事情もあるのだろう。

ブラームスでのリズムは結構緩急があって、よく練習している様子が感じられ、思わぬところで速かったりと意表をつかれることもあり、時折それが恣意的にも感じられたが、服部氏のまとめ方はとても好感がもてた。

コンマスと副コンマスの体の揺れ方も結構オーヴァーでそれは少し揺らし過ぎではと思われたものの、観ている方からは楽しめるものだった。

曲の流れをしっかり意識した仕上げで、勢いで雑になってしまうことはなく、最後まで抑制が効いていながら情感溢れる演奏だった。

さらに管楽器に磨きがかかってアンサンブルが素晴らしくなればと期待を抱きつつ、今後も大いに楽しめそうなオケで、昨晩は久しぶりに素晴らしいオケの演奏に接することができた。