丸山

今度3月から某読書会で丸山の『「文明論之概略」を読む』を取り上げるらしい。会そのものに出られるか分からないけれども、久々に最初の部分を読んでみた。

当時の社会状況や福沢の置かれていた環境、生い立ちなどは一旦括弧に入れて、直接、テクストと対峙する仕方で『文明論之概略』を読むスタイル。

丸山が挙げる古典を読む意義としての「現代からの隔離」などがその理由で、過去のさまざまな文化、風習、言語習慣を身につけている自分をできるだけ隔離させるために古典を、それもクラシック・典範といった意味での古典を読もうというのだ。

一方、思想史で問題になることは、丸山の「思想史の考え方について」では、次のように語られている。

1.或る問題状況に対するその思想の解答がどれだけ徹底しているか、
2.その思想が浸透または流通した範囲はどれくらいか、
3.その思想がどれだけ広い範囲の問題を包括しているか、
4.その思想がどれだけの密度で描かれているか、
5.その思想が後代においてどれほど多産的なものとなったか。

そして思想史の本来の課題として、「歴史によって自分が拘束されることと、歴史的対象を自分が再構成することとの、いわば弁証法的な緊張を通じて過去の思想を再現する」ことが挙げられている。

一見、対立しているアプローチなのだが、どちらにも共通している丸山の考えは、過去のテクストに取り組む際に、そこで行なっている解釈行為が解釈者の問題意識、つまり過去のテクストと格闘することが自分の問題としてどれだけ真剣に考えられているかに大きく依存しているということであり、そのことこそが思想史においても、思想においても問われているということだ。

まぁ当たり前と言えば、当たり前かもしれないけれども、改めて自分で論文に取り組もうと考えているときに、刺激になる文章だ。