どうでもいいことながら

「幻想の世界、冬の合掌造り ライトアップされた白川郷」だそうである。

京都の寺院でも、どこもかしこもライトアップだが、あれには正直風情は感じられない。

どこもかしこもテカテカと光らせる日本の蛍光灯文化(もちろんある程度の省エネでもあるが)も、いただけない。。。

自然光なり、灯の明かりなり、そうしたものへの愛着はないのだろうか。

一番驚いたのは、薪能と言いつつ、ライトを併用することに対して、何の抵抗もなさそうなお能の世界。。。

具体的な自然ではなく、抽象的な自然を大切にする(その精神の裏面は失われたものへの追憶の美学だから、現実の環境破壊は仕方なしとして受容してしまう)精神構造では、こうした人工的なものを易々と「仕方なし」に受容してしまうのだろうか。。。