政事

或るところで、古代日本における「まつりごと」は「祀」=「政」という等式が成り立つという議論が出ていた。

読んだ刹那、それはちょっと違うのではないかと誰か言っていたなと思い出して、一番このテーマに近い、丸山の「政事の構造」(『現代思想』1994.vol.22-1.所収)を開いてみた。

60ページ以下にこの点についての議論が出ている。祭政一致が日本の「国体」だという説の根拠にもなっている、この政事は祭事であるという説明。この「読み」から根拠づける説は江戸時代からあったらしい。

しかし古事記日本書紀といった古文献には祭事という漢語は出てこない。祭事が出てくるのは早くても平安時代であるという。

宗教的な行事は、古代ではどう表現されていたかというと「イハヒゴト」「イミゴト」「イツキゴト」であり、「齋事」「忌事」であって「祭事」ではなかったらしい。しかもこれは丸山のドグマではなく、宣長が既に『古事記伝』十八之巻で指摘していることらしい。

そして「政事」(まつりごと)の言葉の由来は「奉仕事」(まつりごと)であろうと言う(61ページ)。「天下の臣・連以下百僚が天皇の大命を受けて、各自その職務に奉仕するのが、すなわち天下の政である」。

宣長は「政事をするという場合の主語は君ではなくて、君に奉仕する臣・連たちなのだ」と解釈している。

政事は祭事だという語源的根拠から祭政一致を日本の政治的伝統と解釈するのは北畠親房神皇正統記』からで、伊勢神道または度会神道の教義形成と関係しているらしい。

丸山は宣長の説は誤っていないが、十分ではないとして、次の歌を引きながら、何かものを献上するという意味での「献上事」が「まつりごと」のヨリ古い意味ではないかと言う。

「あきつはに にほへる衣 われは着じ 
  君に奉らば 夜も着るがね」(万葉集 2304)

「奉仕を献上する」という意味での「まつりごと」からさまざまな意味が生じ、宣長の言う「奉仕事」もそこから派生しているのではないかというのが丸山の見解。

そこから「正統性の所在」と「政策決定の所在」とが截然と分離されているのは日本の「政事」の執拗低音をなしていて、中国はおろか、アジア、アフリカ、ヨーロッパに至るまでの多くの国々との相違であるという。

ともあれ、言葉から連想していくのは楽しいことではあるが、思わぬ落とし穴があるのだということを覚えておく必要があると感じた次第。

さて今夜は「くどき上手」の中では辛口の「純米大吟醸 八反参拾伍 生詰」を傾けながら、もろもろの雑用をしている。