周囲への配慮

「歩行中接触し骨折 91歳逆転敗訴」の記事が目にとまった。

先日、非常勤先から帰宅途中の新宿駅で、若い女性同士が激突していた場面を見ていたからでもあるが、人にぶつかることについて、あまり気にしない人が多いのは確かである。

人口密度が高いというか、人ごみや歩道では狭いのだからある程度の接触は当然だろうという空気があるように感じられる。

実際、すれ違いに鞄や肩があたったり、電車内で接触があっても、謝られることはそれほど多くない。

日本人は他人への配慮ということに優れていますという主張があるけれども、あれはやはり実際はそうではないということから主張されているのだろうか。

あるいは、自然を愛する日本人と自然を破壊することに無頓着な日本人とが同居し得るように、そうした矛盾が気づかれない「精神的風土」のせいなのだろうか。

ともあれ、最初の記事に戻ると、接触事故で骨折してしまった高齢の方が若い女性に訴訟まで起こすというのは、よほどのことがあったに相違ない。

勘違いからか、思い込みからか分からないけれども、お互いの意思疎通もうまくいかなったのだろう。

人にぶつかることがそれほど重大な事と受け止められていない一般的な「ジョーシキ」にこそ問題はあると思うが、高齢による視力や聴力の衰え、また外見では「健常者」と変わらぬ人々にとって、外出の際の「障害」は思ったよりも多い。

電車内で調子が悪くなり椅子に腰掛けていた若者の前に高齢者が立った時の居心地の悪さは、若者は高齢者に席を譲るというそれ自体は正しい考えから生まれたことだろう。

しかし同時にそれでも座っているのには若者の側に何か理由があるのだろうとは配慮され難い。

言葉遣いやファッションの乱れなるものよりも、こうした点にこそ「配慮」されるべきだと思うのは、日常のさまざまな場面で遭遇する似たような出来事を目にすることが多いからだろう。

さて仕事。。。(10月初旬の信州青木村での窯焚き、窯出しについては後ほど)