支那という名称

長年の疑問が氷解した。

近代以前の中国をなんと名指しすればよいのか、というのが疑問だった。文学史や政治史にしても、どの時代についても「中国史」というカテゴリーを自明視していて、妙だなと思ったいたところ、高島俊男氏の「「支那」は悪い言葉だろうか」がこの疑問に答えてくれた。

簡単に言うと「中国」という概念には2つの意味合いが曖昧なまま含まれていることに原因があった。1つは中華人民共和国の略称であり、もう1つは「中央なるわが国」という普通名詞である(区別のために以下、略称の場合はかぎ括弧はつけず、後者の意味の場合はかぎ括弧をつける)。

後者は中華思想を背景にしていて、例えれば、日本を「皇国」と呼ぶような尊大な意識が含まれている。

ただし「皇国」は「中国」と違ってほかの国に適用できない唯一的な概念であるのに対して(皇国は諸外国に対して自国を称える特異な呼称である。渡辺浩「泰平と皇国」『東アジアの王権と思想』)、「中国」(=「わが国」の意)は、たとえば『日本書紀』において日本を指す言葉として使われ、江戸時代までそうした用法が残っていたという(いわば漢字を使うところでは、どこでも自分の国を指して中国と言ってきたようである)。

したがって秦、漢、晋、唐、隋、宋、元、明、清といった国で呼ばれてきた地域を、どこにでも用いることができる「中国」という言葉で表わすことは不適当だろう。

ならば、どのような言葉があるのか。それが「支那」である。

支那という言葉については、日本の「本」に対して、支那は「支」であるから蔑称であるとか、「支」は支配の「支」、「那」は「あれ」で「あれを支配せよ」の意味だとか、奇想天外な説が流通していると著者は言う(最初の「蔑称」というのは聞いたことがある)。

支那はchinaの元になったもので、1500年以上も前のインドで、秦に由来する「シナスタン」「シナ」と呼ばれていたものが起源だという。

支那」という言葉はさまざまな王朝や国が変転する地域を全体として称する言葉であったが、当の支那にはこれに相当する言葉がなかった(必要がなかった)。

そこで音訳をして、シナは「支那、至那」など、シナスタンは「震旦、真丹」などとした。

これはとくにインドから仏典を持ち帰った仏教者たちが関わったもので、かの玄奘三蔵法師)も「摩訶支那」と誇って使っていたという。

そしてこの支那という言葉は中国で使われ始めてから現在に至るまで褒詞であり、実際中国で発行されている『漢語大辞典』においてもそうであるらしい。一方で、支那は唐初の義浄が「単なる名称であって別段の意義はない」とも言っている。

日本に支那の語が入ってくるのは平安時代のことらしいが、一般には使われていなかった。一般には「漢土」「唐土」と書かれ、中国崇拝の儒者だけ(とくに荻生徂徠)が支那を「中国」と呼んでいたらしい。

江戸期、新井白石がシドッチとの対話から、「チーナ」が支那であることに気づいたという。ここに元は仏教臭を帯びた言葉であった支那は洋語の訳語として普及していったという。

昭和9年、竹内好が「中国文学研究会」を作ったときにも「中国文学」という名称には特段の意義が含まれていないと言い訳しないといけないほどだったという。当時「東京の漢学」「京都の支那学」とがあって「中国文学」なる用語は相当奇異に映ったらしい。

さて中華民国政府は1930年と1945年に、日本政府に宛てて、支那の文字を外交文書で用いないようにと通告している(これには明治以降に日本に留学した人々が日本人が支那を蔑称として使っていたことに関わっているらしいが、現国家の名称を用いるように主張したこと自体は当然のことと言えよう)。

それに対して、日本政府は昭和21年6月7日に各省庁宛に支那の言葉を使わないようにという通達を出した。ただ中華民国政府の主張は外交文書という限定があるように、あくまで現国家の名称として支那を用いるなということであって、「歴史的地理的又は学術的」のこと=学術用語としては問題はなかったのだが、結局、社会全般に無制限にこの禁止項目が遵守されることになり、学術用語としても支那は消えそれにかわって中国がとってかわった。

けれども略称としてならばいざしらず、それ以前の名称として中国を用いるということは、中華意識が強烈な尊称としての「中国」を使うことになるわけであり、あまり適切なことのようには思えないと中国古典に親しんだ著者は言う。

実際「わが国」といった意味に過ぎない「中国」はさまざまな人々が使ってきた普通名詞でしかないわけであるから、余計に問題含みなわけである。

こうした「支那」撲滅運動を展開したのは当用漢字(常用漢字)の「濫用」で悪名高い新聞と出版業界であったというが、著書はむろん中国にかえて支那を使えという主張をしているわけではない。

ただ支那の方が著者にとって自然な言葉であり、それは歴史的に考えても、現代の状況から考えてもそうではないかと言っているに過ぎない。

現代の状況とは、中国という概念が摩訶不思議なものになっている点、支那の方がより正確だからだという。

中国はモンゴルやウイグルチベットなどを含む中華人民共和国全体を指す言葉でありながら、中国語の中にはモンゴル語は含まれず、中国思想にもチベット仏教の思想も入るはずだが、実際は入れられていない。しかし支那とすれば、これらはすんなりと解決できるという。

現在の中国人にはウイグル人なども含まれるが、支那人漢民族だけを指し、支那思想には当然チベット仏教は入らない。

著者としては自分が愛着をもって使うたい支那という言葉が、なぜそれに愛着をもたない人々から強制的に使うことを止められるのかが問題なのである(むろん著者自身も現在の中国人と話すときは支那ではなく中国を用いる)。

これは言葉狩りということにも関連するのだろうが、差別意識があってそれを何かの言葉に假託してしまうことが問題なのだろう。

アメリカ人はハンバーガーとかを食べて味音痴だという人がいるが、それは差別にはならず、中国の悪口を言うとすぐさま差別だと言い立てる人に対して著者は苛立っている。

そうした言い立て方自体、かつての中国蔑視の人々と同根ではないのかと。

私としては、外国人犯罪の増加という作られた風潮の現在、「中国人」という言い方にも差別的な響きが込められている気がしてならないから、最近は「中国の人」という言い方をすることが多い。

言葉の問題よりも、より深く歴史を知ることの大切さを感じる。