奢侈と資本主義

久々の授業だったが、大学に行くとガイダンス授業ということだったので、ドイツと日本での資本主義論争を紹介して、ヴェーバーのテクストの意義などを簡単にレクチャーして終わる。

後期は『プロ倫』を読むと言うと、いろいろ注文が舞い込む。前期に比べて物怖じしない学生が多いようで、案外面白い輪読になりそうだ。

授業準備の過程でゾンバルトの『恋愛と贅沢と資本主義』を読んでみた。あまり評判のよい本ではないらしいが、彼は近代資本主義をユダヤ人の経済活動、奢侈、戦争という3つの要因から説明しようとする。

本書はそのうちの奢侈の部分で、恋愛や性愛の世俗化も大きなテーマになっている。絹織物、帽子といった奢侈品の生産や芸術文化の興隆が近代資本主義の生誕に与って力があったということだが、その根元にあるのが女性のあり方であると言う。

まるでヴェブレンの「顕示的消費」の議論かと思われるような話が延々と続いていて、確かに読みやすい。ヴェーバーのように眉間に皺を寄せて読む必要がないのはいい。

ただあまりに主張が見えやすいので、浅薄な印象を与えるのだろうか。ゾンバルトの奢侈が経済活動を活発化させるという主張が授業でも受けがあまりよくなかったのは、消費社会に生きるわれわれにとって、ある程度当たり前の事柄となっているからだろうか。