昨日の研究会

国際関係思想・研究ネットワークの第2回研究会

公募研究報告では、最初に「慎慮・正義・解放:世界政治における倫理と国際的人道行動」というタイトルでの報告。

慎慮は「国際的政治道徳」、正義は「グローバル・ジャスクティス」、解放は「批判倫理」が中核とする概念で、それらの見取り図を手際よく描いたもの。

グローバル・ジャスティスが圧倒的な物量の業績を含んでいたが、それでそれらを整理した上で、どのような戦略が有効なのか、どのような現実的な処方箋が描けるのかという点にも踏み込んでもらいたかった。

第2は「差異と共通性:EUにおけるシティズンシップと移民統合」で、EUのシティズンシップをめぐるもの。近年、ドイツなどを中心にして、移民の規制に乗り出す状況で、EU各国が移民に対して入国の際に課すプログラムが、すでに国内にいるアウトロー的な人々に対しても適用され、ある種の選別の機制が働くという話は興味深い。

そしてラウンドテーブルは「介入の作法」として、国際法アメリカ政治史の先生方の報告。国連決議原文を読むのは久しぶりだったのでなんとなく懐かしい思いがしたけれども、あれほど民主主義とか人権などを公言していた各国がいざ軍事介入の法的根拠を表明する段になると、そうした言辞をしなくなるということが興味深い話だった。

報告者が指摘していたが、ひとたび普遍的な概念でもって軍事的介入が行なわれると、その口実はあらゆる場面で適用可能なものになってしまうため、たとえばアメリカなどでは自国に対する批判・介入の根拠にもなってしまうということを想定して言葉遣いに慎重なるのだろう。

またリベラル・ホークという政治的勢力が存在することも実は今回初めて知った。もちろんこれはラベリングなので実体があるものではないらしいが、ベトナム戦争のトラウマをもつ世代で、帆船リベラルに対して批判的な立場のリベラルらしい。

強大な力をもったアメリカは世界の貧困や抑圧といったさまざまな問題に貢献できるし、すべきだという立場の人々で、政治的な位置関係としては、ネオコンから距離をとりつつも、政策的な次元では一致するという、非常に危うい立場のことである。

報告された先生に、リベラル・ホークの立場をとる人たちは、ネオコンにうまく利用されてしまうイデオロギー的立場になぜ鈍感なのかという質問をすると、そこはやはりベトナム戦争でのトラウマが想像以上に大きいのだろうということだった。

反戦リベラルはベトナム戦争時と同じスタンスでイラク戦争なども見ているわけだが、鷹派リベラルは同じような立場から出発しつつも、積極的な貢献を考えている点で大きく対立する形になっている。

日本ではリベラル・ホークのような立場はリベラルという特徴づけができるのかどうか。。。「自由主義史観」的な使い方は可能だろうけれども、概して反戦リベラルが圧倒的だと思われる状況では難しいだろうか。。。