Mary Wollstonecraft

某辞典の項目執筆のために、フェミニズムの祖ともされるウルストンクラフトの『女性の権利の擁護』を紐解いている。

『女性の権利の擁護』の章構成は以下の通り。

タレイランへの献辞
序論
第1章 人類の権利とそれにかかわる義務を考察する
第2章 女性の性格に関する通説を論じる
第3章 同じ主題を論じる
第4章 さまざまな原因によって女性が陥った堕落状態を観察する
第5章 女性を軽蔑に近い憐れみの対象としてきた著述家たちに対する批判
第6章 幼い頃の観念連合が性格に及ぼす影響
第7章 慎み−女性特有の美徳としてではなく、男女双方の美徳として考察する
第8章 良い評判に重きを置く、という性差別意識によって損なわれた道徳について
第9章 社会に根を下ろした不自然な差別から生まれる有害な結果について
第10章 親の愛情
第11章 親に対する義務
第12章 国民教育について
第13章 女性の無知が生む愚行の例、および女性のマナーに革命を起こせば当然生み出されると期待されるあの道徳上の進歩に対する結論的省察

600字で彼女の人生と思想の特徴をまとめなければならないので、原典を読んでもそのほとんどに触れることはできないが、やはり目を通しておかないと不安になる。

梅垣さんが指摘していたことだが、ウルストンクラフトの『女性の権利の擁護』には女性も男性と同様に理性的だから平等であるべきだという議論はあまり見られない。

実際、タレイランの献辞に見られる箇所以外では、この論点には触れられていない。女性が無知な状態に貶められている点や教育の問題に重点が置かれていて、理性において男女同等であるという議論は前提であるのか、議論の全面にはほとんど出てこないのである。

だからウルストンクラフトが女性は理性の点で男性と同等であるから平等に処遇すべきだと説いたと解説されることがあるけれども、この点についてはもう少し丁寧に検討すべきであるのは確かだ。

ともあれ第7章のタイトルは興味深い。「慎み−女性特有の美徳としてではなく、男女双方の美徳として考察する」。

厚顔無恥であること、居直ることが逆説的な反抗に至らずに、ひとつのファッションとして消費され、諸々の市場での生き残りをかけて自己表現がやかましく言われる昨今、慎み深いことは、ともすれば、伝統的な悪習にされることもあるが、その意義は今だからこそあるのだとも言えるのではないか。