『思想』丸山眞男

意外に忙しくなり、こちらの更新も久しぶりになってしまった。

午前、神保町で友人の論文のチェック作業。その後、久しぶりに岩波に入ってみると、没後10年となる丸山を特集した一覧がある。

まず目に入ったのは8月号の『思想』で、「丸山眞男を読み直す」である。佐々木先生が「思想の言葉」を書かれている。

政治は従来「夢の配給者」であるか、あるいは「面白さ」を提供するものでしかなく、最近では「癒し」願望や、遂には「軽さ」が政治のセールスポイントになっている状況で、「自由の顕現として政治を位置づける一方で、それに伴う責任を過酷なまでに引き受けること、責任を引き受ける以上、政治の可能性と限界をとことん突き詰める精神作業が前提になる」という「「政治の精神」の重さを説いた丸山の議論は時代遅れどころか、ますます現実味を帯びているようにさえ見える」。

この指摘は正しい。しかし(まさにこの「思想の言葉」に触発されて)そうした未成熟な政治家が厚顔無恥にも存在し得る状況をこそ問わねばならないだろう。

ともあれ政治的な選択が必ずしもベストの選択ではなく、せいぜいベターなもの、あるいは「悪さ加減の選択」だという指摘は日々想起される必要があるかもしれない。

いつの間にかこうした「前提」が忘れ去られて、政治的な選択に対して、ベストを要求して難癖をつけてしまいがちであるから。

『思想』8月号所収の諸論考はすぐに読んでみたいところだが、しばしほかの仕事をこなさねばならない。。。