ベンサム研

昨日はK氏の10年来の研究の集大成である論文の合評会。担当した箇所について、本当はもっと原テクストにあたって論評しなければならないところだったが、気になるところだけをチェックしてコメント。

これまでの議論を丁寧にフォローされているが、やはり10年ほどの歳月が流れると、ご自身の中でも見解が異なって行った部分があるようで、各章の整合性がやや微妙な箇所が散見される。

コメンテーターのA氏が法実証主義についての詳細な腑分けをしてくれたお陰で、議論の見通しがよくなった。

A氏の整理によると、法実証主義は「分離テーゼ」と「分離可能性テーゼ」に分けられ、前者はさらに「事実として法は道徳に依存していない」とする「記述テーゼ解釈」と、道徳条件に依存せず、何が法かをわかることができるという「規範テーゼ解釈」に分かれ、さらにsubstantive positivism、methodological positivismの区別もあるらしい。

ベンサムの法実証主義の類型はこれらが様々に混淆しているというものらしい。コモンロー批判では記述テーゼ、パノミオンの完成では分離テーゼ、法命令説では分離可能性テーゼ.....さらに認識論的真理性の問題と道徳的真理性の問題とが微妙に混淆しているので厄介な問題を孕んでいる.....

ともあれ、思想史研究のスタイルをとりつつも、たまにアクロバティックな解釈(初期のベンサムに後期モデルの総合法典解釈を読み込むなど)を提示されることがあって、その点についてどうだろうというのがコメントの趣旨。

ただベンサム功利主義における快苦の強度の不確実性の話をあれだけ膨らませて解釈できるというのは興味深い論点だった。

昨日はK氏の10年来の研究の集大成である論文の合評会。担当した箇所について、本当はもっと原テクストにあたって論評しなければならないところだったが、気になるところだけをチェックしてコメント。

これまでの議論を丁寧にフォローされているが、やはり10年ほどの歳月が流れると、ご自身の中でも見解が異なって行った部分があるようで、各章の整合性がやや微妙な箇所が散見される。

コメンテーターのA氏が法実証主義についての詳細な腑分けをしてくれたお陰で、議論の見通しがよくなった。

A氏の整理によると、法実証主義は「分離テーゼ」と「分離可能性テーゼ」に分けられ、前者はさらに「事実として法は道徳に依存していない」とする「記述テーゼ解釈」と、道徳条件に依存せず、何が法かをわかることができるという「規範テーゼ解釈」に分かれ、さらにsubstantive positivism、methodological positivismの区別もあるらしい。

ベンサムの法実証主義の類型はこれらが様々に混淆しているというものらしい。コモンロー批判では記述テーゼ、パノミオンの完成では分離テーゼ、法命令説では分離可能性テーゼ.....さらに認識論的真理性の問題と道徳的真理性の問題とが微妙に混淆しているので厄介な問題を孕んでいる.....

ともあれ、思想史研究のスタイルをとりつつも、たまにアクロバティックな解釈(初期のベンサムに後期モデルの総合法典解釈を読み込むなど)を提示されることがあって、その点についてどうだろうというのがコメントの趣旨。

ただベンサム功利主義における快苦の強度の不確実性の話をあれだけ膨らませて解釈できるというのは興味深い論点だった。