ヴェジタリアンという生き方

ついこの間までヴェジタリアンとは菜食主義者だと思っていたことはさておき、現代世界の食糧事情(絶対的な食糧不足と分配における偏重)においてヴェジタリアンとしての生き方はとてもメッセージ性がある。

「NPOさなぎ達とローソンが「横浜型もったいない運動」」「中区寿地区生活者の自立を促す活動を展開するNPO法人さなぎ達(山中修理事長)が運営する「さなぎの食堂」(中区寿町2)は6月16日、コンビニエンスストアのローソンと協力し、店舗で販売期限が切れたパンや弁当などを食堂で活用する試みをスタートした。」

横浜中区の寿地区は、寿という名前とは裏腹に日雇い労働者が集まる、あまり景気のよくない地区である。昼間スーツ姿で歩こうものなら、怒号が飛んでくることもある。

「「さなぎの食堂」にとっては公益的活動の安定実施(食材の無料調達)に、ローソンにとっては食品廃棄物の減量やCSR(企業の社会的責任)の推進に、横浜市はゴミの減量を目指す「G30」の推進や市民活動の支援につながる活動としてモデル化し、循環型社会の実現に取り組んでいる横浜から、「横浜型もったいない運動」として発信することにより、身近なことからもったいない運動の輪がさらに広がっていくことを目指すとのこと。」

日本の残飯廃棄は凄まじい。とくに宴会や披露宴といったホテル、飲み屋などでの残飯の量は尋常ではなく、日本で捨てられる食糧で開発途上国で何千万人もの人々が飢餓から救われるという。

その点で、こうしたローソンや横浜市の取り組みは微々たるものだが評価されるものだろう。ただ「もったいない」という風潮はどうもあまり好きになれない。

MOTTAINAI」と、ものを大切に使うこととは必ずしも相即しない。もったいないは場合によってはものをひたすら使い切ることに目が向いてしまい、捨てることに対する戸惑いをもたらす。

ペットボトルの回収作業に始まり、多くのリサイクルは一見、資源の有効利用のように見える。しかし回収に余計なエネルギーを使い、さらに浄化に余計なエネルギーを使いといった按配で、環境負荷を増大させることもあるから、もったいないと言って使いまわし過ぎるのも問題なわけである。

そこでヴェジタリアン的生活である。肉類はその生産に何倍(場合によっては10倍)もの穀物や水を必要とする。前世紀末に中国での牛肉消費が急増して世界の食糧事情が一挙に悪化するという懸念が語られたが、肉類の生産はかつてのブリテンでの第1次囲い込みをもじって言えば「牛が人間を食べる」事態でもある。先進国での肉類の消費を抑えることでどれだけの食糧が獣ではなく人間に行き渡ることになるのか、正確な数値はわからないけれども、世界中の飢餓を緩和する重要な要素になり得ることだろう。

ただ肉類の生産も自然発生的なものであるならば、問題があるとは思えない。人間が食べるにはちょっとどうかと思われる穀物を与えて動物を飼育することは問題ないだろう(まさか動物虐待!?とは言われないだろう)。

現代において己の食生活を見直すことは、スローフードとか有機農法とか言う前に、こうした世界的な食糧事情を念頭に置いておかねばならない。

アウシュヴィッツの生き残りの思想家プリーモ・レーヴィは、世界中で飢餓に苦しんでいる人がいる限り、自分だけがお腹一杯に食べることなどできないと言い、決して満腹まで食べなかったと言う。

田川氏はこうした態度を現代における「祈り」の在り方だと解釈したが、さすがにそこまで徹底できる自信はない。けれどもこれからの食事の在り方を見直し、もう少し自覚的であるよう気をつけたいと思う。