Global Justice、三重県 大杉谷

夕刻から本郷でクカサスのグローバルジャスティス論への批判論文後半を報告。思わぬ読み違いなどがあって参るが、自己統治の概念を基礎にして、正義が神々の闘争的多元性をもち、グローバルジャスティスの実践がエリーティズムを帰結するという点から、ブキャナンやポッゲのグローバルジャスティス論を批判している。

徹頭徹尾、グローバルジャスティスが何であるのかというより、それを主張することによって数多くの課題が山積され、政治にまつわる権力の論理に絡め取られることで、人権の保護や世界の貧困の撲滅といった肝心の目的を遂げられなくなってしまうことを主張する論文。

自分の事は自分で決めようという、ある種の「保守主義」的言説に見られる主張だが、思ったよりも、しっかりとした論理構成になっている点、勉強になる。

終わって、お好み焼き屋さんで一杯(いや、だいぶ)飲んでから帰宅。。。

「お坊さんの地域おこし 三重・大杉谷」という記事を目にして懐かしい思いが去来する。実は小学校3〜4年生の担任のS先生が宮川村のご出身で、夏休みに大杉谷のコテージに泊まりに行ったことがあるからだ。

遠い日の夏休み。駅から車とトラックで大杉谷まで連れて行ってもらい、とてもひんやりとした川で遊んだ記憶がある。夜はなぜか肝試し。。。夜はツキノワグマが出るとかで危なかったらしく、S先生がご両親から叱れていた。。。

ともあれ、今、宮川村(現大台町)では、個性あふれるお坊さんによって村おこしが進められているらしい。お役所主導の村おこしではなく、株式会社を設立し、住民のインセンティヴを引き出しながら、豊かな森と谷を壊すことなく活性化しようという試みだ。

 少し長くなるが、引用してみよう。

「事業計画によると、森林を間近に見る一万平方メートルの敷地に、宿泊施設を建設するほか、樹皮や端材でバイオマス発電を行い漢方薬湯を沸かす。また薬膳(やくぜん)を中心とした食事も提供する。一言で言えば「漢方の養生所」づくりだ。本年度から土地の造成に入り、二〇〇八年四月の開業を目指す。

 もっともこれだけならば「山村にありがちの観光施設か」と考える向きもあるかもしれないが、この先はお坊さんらしい発想が飛び出す。新しいタイプのお墓を経営し、収入の柱にしようというのだ。

 墓地は近く購入する千五百ヘクタールの原生林。二十万−三十万円の永代供養料を納めると一人当たり五百平方メートルの墓地が割り当てられる。整地された墓地を思い浮かべるのは見当違いで、森林がそのまま墓地になるとイメージした方が早い。

 遺骨は割り当てられた区域内の樹木の根元に埋葬される。そこには墓石も墓標もない。近年、山里に遺骨を埋め、故人が生前好きだった木を植えて墓標にする「樹木葬」が各地で取り入れられているが、それに似ている。森林が即墓地になるから緑の保全にもつながる。「森は生命のふるさと。森に埋葬されることで、人は自然に帰り、子孫の暮らしを見守る守護神となる」と和尚は説く。

 宗派不問で、十年後には二万六千人の利用を見込む。「森林葬」とでもいうべきこの埋葬法、すでに「いのちの森」という名称で商標登録も済ませた。

 黙雷さんの地域おこしは、さらに意外な方面へと発展していく。

 不登校生徒をはじめ、都会生活に悩む青少年たちを受け入れる「報徳農林塾」の開設がそれだ。若者たちを農林業に従事させ、たくましく生きる力を与えることを目的とする。」
 なるほど。興味深い試みだ。これで地元の人もそれらの施設の恩恵にあずかることがちゃんとできれば言うことはないだろう。

この夏にでも、久しぶりに三重県の山奥に行ってみたい衝動に駆られた。