日本現代工芸展、銀座、志野

午前は上野の東京都博物館で開かれている現代陶芸展へ、Yさんの作品を拝見に伺う。会場に入るとすぐにお会いすることができ、今年の作品が展示しているところに案内してもらい、染織のことについていろいろ伺う。

使われている生地は絹だそうで、木綿と異なり、随分と高価なものらしい。年に1回のことなので絹をお使いになられているとのことだったが、今年はシチリアの海と土地がテーマだった。青が全体的なイメージ色として使われていて、所々に、お泊りになられたホテルの部屋から外を眺めた風景や、葡萄が水彩画のように描かれていて、とても上品に纏まっていた。ところどころに紫色の帯があって、シチリアのワインをつい想像してしまう。

イタリアには何度か行きながら、シチリアにはまだ足を踏み入れたことがない。昨年EnneのSさんからシチリアワインのことについて教えて頂いたが、Yさんからとてもよいところと伺う。ギリシャ時代の遺跡が本家のギリシャよりもよく保存されていたり、海産物がまた素晴らしいとのこと。お話を伺ううちに、今度はシチリアに行ってみたいという欲求に駆られる。

またYさんのご主人はゲーテの『イタリア紀行』を熟読されて、その行程をいくつか辿られたらしい。こうしたことができるのも歴史ある地域を訪ねる楽しみの一つだ。日本と違って居住区域が広いから、古の雰囲気を保った街がたくさん残されているのは嬉しい。また南イタリアは北イタリアに比して経済的には貧しい地域だが、南端辺りの街は穏やかな雰囲気らしい。

1時間ほどで失礼をして、上野公園の満開の櫻の下をしばし歩いて、御徒町で昼食をとる。お魚を扱っているお店が多かったが、夜に食べることになりそうだったので、登亭というチェーンの鰻屋に試しに入る。ランチサービスで1,100円と少々奮発したが、お味はB-。お値段に割りに悪くはないのだが、鰻は焼かれてから時間が経っているのか、焼き方が悪いのか、ちょっと火が通り過ぎているのと、ご飯がパサパサしていてよろしくない。

御徒町を歩いていると、イチゴが5個ほど串に刺さったものが売られていた。もって食べている人がいたけれども、どうも焼き鳥を想像してしまって、不気味に感じてしまう。。。

午後は馬込でPower Pointのファイル作成。夕刻銀座へ。(店名がうろ覚えだが)「かじや」で夕食。旬のヤリイカのお刺身が美味。透き通っていて、歯ごたえもよろしい。また桜海老のクリームコロッケは絶品。さらにこのお店の名物。窯で焼く牛ステーキは本当に素晴らしい。焼きも見事で、久しぶりにお肉の味がするステーキを食べる(なんでもこのお肉目当てで通う人がいるらしいが、どこ産のお肉か聞きそびれる)。

同じ階に入っているバーでシークワーサー・サワーと、シーバスリーガルのお水割り。音大生でソプラノ歌手のYさんから音大生の就職状況や仕事の探し方などいろいろ話を聞く。その後は2つ上の階のバーへ。一風変わったバーだったけれども、付いた人がまた面白く、京都や大阪の話に花が咲く。けれども、裏でのいじめの凄まじさを冗談を入れながら軽やかに話す点にその人の強さを感じる。

銀座でS先生と別れ、地下鉄に乗ろうと思って、ふとPHSを見ると、上田からの電話が入っていた模様。どうしたのかなと思って電話をかけると、1時間電話してしまう。

3日前に岐阜のM氏のところで桃山時代の志野茶碗を見てきたとのこと。しかもそこで見た志野茶碗は国宝級の志野とはまったく次元が違うほどの凄さだったという。そもそもこのM氏(のお父上)は加藤陶九郎や荒川豊蔵に志野の何たるかを教えた御仁らしい。それほどまでに志野を徹底的に研究されたそうだ(だが荒川は途中で時代に迎合して面白くなくなったと評され、加藤のみが桃山時代の志野のレヴェルに到達していると言う)。

厚く釉薬をかけた志野は単に白釉の作品でしかなく、鬼志野というのは、赤く焼けた志野のことを言って、長石をごてごてにかけたものを鬼志野とは呼ばないらしい。

桃山期は既成概念を取り払ったところに成立した作品が多く、その点でこうあらねばならないという規準がそもそも成り立たないというが、現代の評論家は桃山期の焼き物を或る型に矮小化して評していると批判されているらしい。

M氏の話すことは本松氏が普段話すことと見事に符号していて、すっかり意気投合されたらしい。最初に陶片しか出さなかったM氏は途中から桐箱に入った作品を次から次へと出してくれたらしい。

これから何度か岐阜に本物の志野を観に行かれるという本松氏に同伴させてもらい、まだ見ぬ志野茶碗の本髄を味わいたいと願った長電話だった。