4月から

「社会のデザイン」とでも言うべきものに関わることになるかもしれない。社会のデザインというと反射的にハイエクの「設計主義的合理主義」といった批判を想起してしまうが、歴史性を重視した社会のデザインということも十分可能だろう。それはハイエクベンサムが重なるところでもある。

その点で連想したのが、応用倫理学碩学であるK氏(K氏のお師匠さんでもある)で、彼が環境問題について論じた丸善の本で印象深いことを言っていた。環境問題の解決にはデカルト的合理主義が必要である、と。つまり熊沢蕃山だとか、江戸期の思想、江戸という都市のシステムを称揚するのはよいが、現代の環境問題の解決には科学的な対処が必要であり、自然保護の思想をただ持ち上げても、なんら解決には資さないという話。

確かにそうだ。ただ科学が失敗と成功の無限の営みだとすると、或る知見がひたすら正しいことにはならないし(たいていは信用して問題のないレヴェルのものから、いろいろあるが)、環境問題のように複合的な問題には要素還元主義的な科学的対処は不適切だという側面もある。また昨今の環境問題の政治利用化という側面もあってこれがさらに問題をこじれさせている。昔、米本氏が『地球環境問題とは何か』で分析して熱く語っていた問題だ。。。政官財の癒着といった問題など、芋ズル式に収拾がつかなくなる。。。

あ、いけない、もうこんな時間だ。明日に備えて寝なければ。。。