今日のこと

強風の一日。お昼頃、宇都宮線は運転を見合わせ、ストの影響もあって京葉線のダイヤは乱れ、中央線の上りはランダムだったし、東海道線も品川〜川崎間で時速25キロ制限になっていたため、横国でのゼミに遅れて到着。9月のJSUSの打ち合わせなどをして、ミルの社会主義論についての報告を聞く。

『経済学原理』におけるJ.S.ミルとハリエットとの執筆分担問題をめぐって。報告者の論拠は『自伝』の「破棄草稿」(初稿の更に前の段階の草稿のこと)に、ミルが「ハリエットが書いた」と書いているらしいというもの。

F先生によると、ミルはハリエットが書いたとか、彼女の考えだとかいう場合は、結構戦略的に行なっているということもあり、事の真偽を見極めるのが難しいらしい。

草稿でミルが「ハリエットが書いた」と言ったとしても、それを額面どおりに受け取るべきかどうかは議論が分かれるところだ。そういえば、問題が若干ずれるけれども、W先生が丸山門下の丸山論で、例えば『現代政治の思想と行動』を分析する際に、丸山自身がつけた長大な改題や日記などを論拠にするのはいかがなものかと仰っていたが、過去のことに検討を加えることは本当にナイーヴな問題を孕んでしまうなと実感する。

夜は、ティアラこうとうで水谷川さんのチェロ。今回は音を奏でるパーカッショニスト(水谷川さん評)越智氏とのコラボレーション。特にはっと思ったのは、バッハの無伴奏第1番プレリュードにパーカッションが入ったもの。越智氏はバッハの完成された曲にパーカッションをつけるのは恐れ多いと仰ったそうだが、面白かった。

何が面白いかというと、チェロとパーカッションが別々のリズムを奏でた点である。チェロにパーカッションを合わせつつも、リズムは別様に刻まれていたことである。普段聞いている音楽は基本的に単一のリズムをとるものだが(ヴィラロボスなどのブラジルの音楽は違うようだが)、まったく別様のリズムが同時に混在することはあまりない。最初はちょっと違和感があって馴染めなかったが、途中から、興味深い展開となった。武満『ノヴェンバー・ステップ』で尺八を西洋音楽とは違うリズムで奏でるように作曲者自ら指示したという話が思い出された。