Pride and Prejudice....残忍さ

知人から、keira knightley版の『Pride and Prejudice』について教えてもらう。ロンドンでは今週DVDが発売され、また盛り上がっているとのこと。

また『Bridget Jones's Diary』以外に、Keira Knightleyが出演の『Love Actually』も観ておくとよいとのこと(これらはいずれも同じ製作スタッフによるものらしい)。ますます観に行きたくなってくるが、来週までは時間がとれそうにない。。。

そういえば、著者のジェーン・オースティンは小説に出てくるベネット家の姉妹の名前について、自分の姉の名(エリザベス)を次女に、自分の名前(ジェーン)を長女にあてている。この辺り、何かちょっとした(精神分析的)分析でもあるのだろうか。。。

さて残忍な事件が世間を騒がすのはいつの時代でも同じだが、それはおそらく人間が紙一重で動物でもあることを忘失してしまったことにあるのではないだろうか。

もちろんそうした「人間本性」ゆえに残忍な所業は当然のことだと言いたいわけではない。9月9日の日記に引用した丸山の『自己内対話』の或る箇所を再録。

儒学の古典、したがってまた江戸時代の論著においてしばしば出会うのは、人は礼をもつことによって禽獣と区別される、とか蟄居して教えなければ、禽獣と同じになるとかいう発想である。

 キリスト教の原罪的思想から見れば、こういう命題は、逆にいえば、礼を習得しさえすれば、教を受けさえすれば人倫が実現されるという意味を含んでいるから、人間に対するナイーヴな楽天主義を表現していることになるだろう。しかし人間がどこま禽獣と区別されるのか、人間の尊厳の根拠はどこにあるのかが切実な問いとして意識されなければ、あれほどのくどさで右のような命題をくりかえすこと自体がそもそも起こりうる筈がない。つまりこういう命題の背景には、人間と禽獣とはほとんど紙一重の差しかなく、したがって、その紙一重のしきりが破られた瞬間に人間行動は禽獣と同じレヴェルに顛落する。その顛落の可能性は、昔々あったのではなく、いつでも、只今この瞬間にもあるというクリティカルな意識が流れていたわけである。テクノロジーの進歩によって、人間と動物との文明度のギャップが日常的な見聞事においてあまりにも顕著になったために、人間の動物からの倫理的進化は、生物学的進化と同様に太古の出来事としてしか受け取られなくなり、そのことによって、かえって人間存在の危機一髪的性格が切実に感じられなくなってしまった。儒教の右のような命題を陳腐なお説教としてわらう事しか知らない現代人は、その行動様式においてますます動物的になりつつある。おそるべき逆説がここにある」(159頁)。

現代では人間と禽獣についての切実なる問いが忘却されているために、一方では人間(性)の理性的側面の礼賛と、他方での残虐な禽獣的側面への居直りとが同居しているのかもしれない。

Weberが執拗に繰り返した理念と現実との「緊張関係」というものにも一脈通じるものがあるような気がする。

ところで、紀子さんご懐妊で、皇室典範女系天皇をめぐる議論は様相を変えるかもしれない。

尤も懐妊はまだ確実な段階ではないし、紀子さんの人間性に疑問を抱く身としては、どうも複雑な思いだ。。。

歌会始で詠まれた「飛びたちて大空にまふこふのとり仰ぎてをれば笑み栄えくる」はコウノトリを題材にした一見微笑ましい歌に読めるが、諸事情を勘案すると『悪徳の栄え』を連想してしまう。。。

夜、某男声合唱団の練習を終え、皆が呑みに行くのを横目で見つつ、溜池山王の駅そばにある熊本ラーメンのお店が第2水曜日は300円でラーメンを出しているので、そこで夕食をとり、急いで帰宅。

今週末は埼玉で某お茶会。お茶会+仕舞+茶杓展+陶芸展という豪華な催しだが、当日のお茶会には行かず、メール受付だけのお手伝い。

男だけのお茶会にしようということで、スタッフは全員男性で、気のいい人ばかり。。。今回は諸事情で伺えないのが残念なところ。

しかしお茶も本腰を入れてしないと結局は意味なく終わってしまうことになる恐れがある。お茶のことでお誘いくださる方々はお茶の本道を進んでおられる方ばかりなので、もう少ししっかり自分の道を決めないといけない。

その意味では「本物」だけを追い求める必要性を強く感じる。人生は短くない。限られた時間の中で、できるだけ「本物」に接して行くことが重要になるだろう。

そのためには「本物」を見極める目を持つ必要がある。ただ見極めをしている途中で別の方向、例えば有名性などに引っ張られてしまうことには気をつけなければならない。

そういえば、学部時代からお世話になっているS先生からも、一流を相手にして、思想的に意味ある議論を組み立てなさいと言われていたなと思い出す。

最近書く論文がそうした点を満たしているかと言えば、どうもあやしい気がする。。。

と、論文を纏めないといけない時間にもかかわらず、つい逃避気味に記してしまう。。。頑張るとしよう。。。