いろいろ

今日は水谷川優子さんを囲む少し早めのバレンタイン・パーティー

二胡奏者の方も話していたが、今日の水谷川さんの無伴奏の演奏を聴いていると、違和感なく体に染み入るようで、奏者の内から湧き出る音楽が自然に形となって現われたようだ。

聴いているうちにリーメンシュナイダーの彫刻作品と対峙しているかのような敬虔で厳粛な心持になる。さすが、よい音楽は思想を帯びるようだ。

さて、帰宅して久しぶりに田川建三氏のHPを見てみると、なんと今日、早稲田で講演会をされていた。聴講できなかったのは誠に残念。。。

「今日の一言」という欄では、相変わらず歯に衣着せぬ表現が多い。小泉首相を「チンピラ右翼」と言うあたり、確かにその通りだが......。

JR西日本での事故や皇軍における病(リンチ)死などに象徴される「あきれるべき非人間的労働者管理」という文脈で、

「つまり我々は、戦後60年かかって、我々この国の民衆の間で、本当に人の生命を重んじ、他人の生活と権利を重んじ、一人一人の生活と生命を重んじ、それぞれの自由を大切にし、等々の、要するに民主主義と言われるものを、十分につちかってくることができなかった。」「日暮れて、道遠し、にはちがいない。しかし、我々は、我々自身の、我々のまわりの人々の、質を高める努力をする以外に、仕方がない。これまで、 「戦後民主主義」 とやらで何となく安心して、最も手を抜いてきたのが、その点だったのだから。」

民衆ファシズム云々という点については、少々異論があるけれども、彼のこうしたスタンスには非常に健全な思想を感じる。

来年には彼の手になる『マルコ』と『マタイ』の福音書が出版されるらしい。これまでの日本語訳聖書にはイデオロギー的な解釈がふんだんに散りばめられていていろいろ問題があるから、ようやくテキストとしてしっかり読み込める『聖書』が出版されそうで楽しみだ。

藤原道山さんの尺八の演奏を聴きながら、これを書いているが、ピアノや弦楽に尺八をのせるのはやはり無理があるのではないかと感じる。

彼の演奏そのものは素晴らしいのだが、ピアノや弦楽に合わせるのであれば、やはりフルートやオーボエなどがよい。わざわざ尺八を尺八らしさを無くして合わせることにあまり美しさは感じられず、違和感だけが残る。

尺八はそれだけで吹く本曲で勝負するのがやはり一番その持ち味を引き出せるのではないかと思うのは「古い」のだろうか。