大室内楽.....

いろいろ仕事をしているうちに夕方になる。今夜はお誘いをうけたコンサートを聴きに青葉区フィリアホールへ。

ARCUSという室内楽・室内オケの演奏会。曲目はR.シュトラウス弦楽六重奏カプリッチョ」、ブラームス弦楽六重奏第1番、L.シュポアという初めて聴く作曲家の大九重奏曲」。

ブラームスの第2楽章でのヴィオラの艶やかで深い音には正直驚いた。オケを聞く場合に聴こえて来るヴィオラの音のイメージと随分と異なるのだ。ドイツ人指揮者で注目しているティーレマンヴィオラを弾いていたらしいが、彼の指揮振りを彷彿とさせる堅実さを佐々木亮氏というヴィオラの方の演奏に感じた。

シュポアは初めて聴く。曲の雰囲気としては、ベートーヴェンモーツァルトを足して割って、完成度を下げたような印象だが、ヴァイオリンの大宮氏は最近N響に入った人のようだが、確か24歳だとか。しかし上手い演奏だった。

演奏会後は、青葉台の焼き鳥屋さんで歓談して帰宅。。。

ところでタイの仏教のことで面白い話を読んだ。日本では儒教の影響もあって、お経を読むのは仏壇に向かって故人に対してなされることが多い。

が、タイでは読経はすべて生者に向かって行なわれるらしい。お葬式の場合でもそうだというから、少し驚いた。

また興味深い解釈として、「不殺生」を生物を殺さないだけでなく、非武装・非暴力をも含むものとして捉え、「不偸盗」は現代資本主義における搾取的経済構造(なんだかマルクス主義的だが)の拒否に通じ、「不邪淫」をセックス産業への反対へと解釈するタイの一派があるらしい。

タイの小乗・上座部系の仏教が社会改革に乗り出して数年が経つらしい。それに対して日本の仏教は大乗仏教ながら、日々の葬祭に追われていることが多い。

確かに日本での生活は大変である。現代では托鉢に出かけることも難しくなっているだろう。だが、どこかおかしくないか。現実の行動もそうだが、日本の仏教の理念そのものを再考すべき時に来ている。。。