ヒラリー・ハーン

のバッハ無伴奏第3番を聴く。まず完璧なテクニックである(と思う)。さらに全体を覆う研ぎ澄まされた透明さに気品すら感じる。

だがしかしである。あまりの完成度の高さ故か、バッハが合唱曲の代わりに無伴奏に託したであろう神聖さが感じられない。。。妙な言い方をするとアメリカ的な神聖さはあるかもしれない。しかしこれはドイツ的なそれではない。現代の精神病理的な危うさはあっても、そこには歴史や自我の奥底から発する苦悩がないからだ。

もちろんこうした聴き方がある種のステレオタイプにどっぷりと浸かった古い見方であることは重々承知である。しかしバッハの曲に印されているプロテスタント的要素を考えると、そうした苦悩の要素は決して見過ごされてはならないだろう。

こう書いてくると、ハーンの演奏が嫌いなように見受けられるかもしれないが、現代のヴァイオリニストの中ではこれからの動向がとても気になる人である。