障害者自立支援法

恥ずかしながら障害者自立支援法の中身を最近知った。この法案の抱える問題については、ここにまとめてあるので参考になる。

人権擁護法案もそうだが、最近耳あたりのよい言葉で人を惑わすことが流行っているのだろうか。

よいこと=「自立」「自己責任」「自己負担」「人権」「改革」「ノーマライゼーション」....
悪いこと=「無駄遣い」「使い過ぎ」「フリーライダー」「既成」....

これらの言葉は、何を規準としてそのように判断するか、どのような文脈で使われているかを無視してはあまり意味がない(ほとんどの言葉がそうだが)。

例えば最近は国家財政が逼迫し予算が削られているので「無駄な」ことはできるだけカットしていこうという傾向にある。そして国が財政的に大変なのだから、国民それぞれ自分でできることは自分でしてくださいという形になる。

そこでは何が無駄なのか、そしてそれが国民の受益者負担という形ではねかえってくるのはどういう仕組みからなのかということがあまりつきつめられないことが多い。

そして目下小泉政権が想定しているのは、いわば「負荷なき自我」の国民で、それぞれの違いはほとんど無視され、同じような主体として捉えられる。

今回の障害者自立支援法などは、結局、障害者も健常者と区別(差別!?)なく、自分の治療に関わる相応分を負担してくださいというわけで、国家が国民各人に文化的生活を送れるような環境を作るということに反する。

国民各人の違いを念頭におかずに安易にノーマライゼーションを掲げることは誰かの生命を危険に追いやることだと認識した方がよい。そうした危険は物理的なものか精神的なものであり得るだろうが、(ロールズの格差原理のように)最も不遇な人々の利益を最大化することが基礎に置かなければ、公正な判断は下せないだろう。。。

先日衆院を通過した郵政民営化法案でも、郵便事業保険業などに比べて微々たる規模のものにもかかわらず、それが焦点化されたように、「この時代は、『小さな不正義』に敏感になってしまっている時代」(上のサイトでの立岩真也氏の言)なのだろうか(もちろん社会福祉が「小さな不正義」であるわけでは断じてない)。