ミル

朝寝坊と共に乗る電車を間違えて某国大でのゼミに遅刻する。

後期からはJ.S.ミル研究の最近のサーヴェイをすることに。第1回目は、Jonathan Riley, "J.S.Mill's Doctrine of Freedom of Expression," in Utilitas Vol.17, No.2, July 2005. pp.147-179. 

ミルにおける表現の自由を自由原理の延長として解釈するもの。他者に(直接)危害を加えない範囲で自由に行為できるとする点で両者は通底しているが、実現される自由が、表現の自由は他者に関すること(other-regarding)で、自由原理は自分に関すること(self-regarding)であるという相違がある。

表現の自由はなんでもかんでも許容されるのではなく、社会的便宜の観点から検閲(censorship)を受ける形で制約されるとし、その制約の幅は当の表現から受ける人々の需要度(=同意)の幅によるというもの。このやや曖昧な規定がやはり問題となるように思われるが、この点については、それ以上深い議論はない。

他に某先生が、関東圏の新生児の1割が外国人の親を持つという状況から、ロンドンの爆破事件の社会的背景が醸成される可能性についても言及。

つまり現代の多文化社会においてミルの自由原理はどこまで適用可能なのかという問題が問われるということになる。

これは現代的な問題関心と歴史的・思想史的問題関心とが見事に調和するかもしれない問題群のひとつのように思われる。