抑圧移譲

こちらのブログで(TBがうまくいかず...リンクをはっています)、現在の中国や韓国に対する日本人のルサンチマン的反感の根源が米国からの不当な要求に屈しているというコンプレックスに由来し、その裏返しに過ぎないという文章を読んで、まさにその通り、「抑圧移譲」だと感じる。

アメリカからの抑圧が東アジア地域へとそのまま移譲される構造。「脱亜」の近代からまだ抜け出せない精神構造が温存されているのかもしれない。

幸い周囲には中国や韓国について造詣の深い人が多いので、日常の場面では妙な声はあまり聞こえてこない。

尤も誰かが言っていたし、実際にもそのように感じるが、どこそこの国の人への反感なるものは、たいてい日常的な些細なこと、例えば食べ方が気に入らないとか、話し方が気に入らないとか、そういったことに由来していることがほとんどだ。だから現在の中国や韓国への反感は案外さっと解消されるものかもしれない(これは日常的な人間関係についても言えることだろう)。

ただ日本と韓国とではそういった些細なレベルで気になることが起こりやすいことも事実で、例えば食事のマナー。陶器がメインになる日本の食事ではご飯茶碗は持って食べるものとされるが、韓国ではご飯茶碗は置くことになっている(あ、この話は以前の日記に書いたような記憶が)。

日本では茶碗をもたないことは犬や猫がするような食べ方とされる一方、韓国では熱い碗をわざわざ持って食べるのはガツガツしていて下品だとされる。

茶碗の材質の問題もあり、また食文化の違いもあるのだが、日本の方が食事についてのマナーにうるさくなくなってきていることも韓国の人からすれば下品に映るかもしれない。

ともあれ偏見は実に些細なことから醸成されることがいかに多いことか。わが身を振り返りつつ感じる。。。