神のお告げによる戦争.....

BBCのドキュメンタリーで、「ブッシュ大統領は「私は神に与えられた使命によって行動している。神は『ジョージよ、アフガンのテロリストと戦え』と命じた。そのようにすると、神は今度は『ジョージよ、イラクの圧制に終止符を打て』と命じた。私はそのようにした」と語った。ブッシュ氏は、パレスチナ国家の創設も神から命じられたことを明らかにしたという。」

クリスチャン・サイエンス創造論といった怪しげな物語が影響を与えているご時世なので、このような物言いも出てくるのだろうか。。。

一方、わが国の首相は、郵便局長の造反で最初の選挙に落ちたことへの怨念か、単なる米国の言いなりなのかは分からないけれども、郵政民営化をお題目の如く唱えてきた。

世川行介氏が言うように、今回の小泉首相の「内容はともかく改革」では肝心要の官僚支配についてほとんど手付かずのままである。

官僚の利権構造を切り崩すためには、行財政改革が必要だが、民営化=私営化と唱えていれば、すべてがうまく行くと考える不思議な信仰の持ち主が実権を握っているところがわが国の悲劇で、そこでは国民の福祉や自由は一顧だにされない。

共謀罪人権擁護法案という政治家に都合のよい法案がどんどん出てきて、憲法改悪→徴兵制という流れになってしまうのだろうか。

軍事アナリストなる人々はよく日本人は平和ボケしていると言うが、それは物事の一面しか見ていないのではないか。左翼(という形容に意味があるとして)の闘争を全面的に肯定するわけではないけれども、安保や今も争われている三里塚など、国内においても、生死に関わる問題というのは山ほどあったし、あり続けている。

韓半島で今もほとんどの人々を巻き込んでいる離散家族問題の淵源が日本の植民地支配にあったことを考えれば、平和ボケなどしていられない。

だからアナリストや前防衛庁長官が言うように、わざわざ戦争をすることを前提にした思想を持ち込む必要はない。徴兵制などもってのほかであり、武器のあるところに戦争が起こるのは歴史を見れば明らかであろう。

ところが『ガンジー』には感動する人々が状況が違うからという理由で非暴力主義や平和の思想に一定の距離を置いてしまう。それは反戦平和の思想が絶望的なまでに不可能な事態を目指しているから、所詮、机上の空論として片付けられてしまうことになる。

しかし人としての感性から素直に考えるなら、理念は保つべきものではないだろうか。日常的なレベルで言えば、相手を思い遣ることは非常に難しいことだが、誰もが(とは言いすぎにしても)目標に掲げることである。

そのようにして、平和や非暴力という思想も、当たり前のこととして根付かないものだろうか。。。