つれづれ....

最近スパムメールが増えているなと思っていたら、他の人もそうらしい。新しい傾向は自分のメールアドレスで送られてくる妙なメールだ。

メールボックスを開けると1割、ひどいときは2割くらいがそのようなメールで、トラックバックも妙なところからリンクされていることがある。なんとか対策をしたいところだが.....。

昨晩は9時前に就寝。しかし午前1時前に目覚め、届いたばかりの斎藤貴男『安心のファシズム 支配されたがる人々』をぱらぱらと。

2004年春の自己責任論に見られた日本社会の異様な雰囲気から筆を起こして、多様な価値観を認めず、なし崩し的に事態が変容して行く現状、監視社会の強化、新自由主義的な経済システムへの傾斜と全体主義的な思想統制.....。

正直、これらキーワードが象徴するような大それたことが現実に起こっているのだろうかと思われるほどだが、決して絵空事ではない。最近ではいろいろあり過ぎて慣れてしまったのかもしれない。しかし「茶色の朝」のように、ファシズムはある日突然「そよ風とともにやってくる」のである。

ともあれ「自動改札機と携帯電話」の章を読んでいて、関東で自動改札が一般化してくるのが90年代だと知って驚く。自動改札があまりに日常的になっているので、そんな新しいことだったのかと感じた次第(世界最初の自動改札が出来たのが大阪万博の時らしいから、普及するには随分と時間がかかった)。

前々から思っていたが、あの自動改札の暴力的なやり方はなんとかならないものだろうか。有効でない切符と判断されると、扉が閉じるあれである。

迂闊に切符をポケットに入れていたり、買い間違えた時には、改札を出ようとすると、思わず前に転びそうになるほどの衝撃を受ける。

実際「自動改札機の扉が怖いという妊娠中の女性からの投書が新聞の投書欄に続けて寄せられた時期があ」ったようだ。「だがJR側は、『ゆっくり歩いてほしい』と回答するだけだった」らしい。

平均的な日本人の歩くスピードは遅いから、それほど面倒に思う人もいないかもしれないが.....。

一方、欧州の地下鉄では自動改札全盛だが、「閉まっている扉」が空く方式がほとんどだ。日本のように空いている扉が閉まるタイプは見たことがない。

ウィーンなどに至っては機械に通せんぼされることはない。地下鉄に乗車する人は有効な切符を持っているはずだという市民的信念が生きているからだろうか。

公共機関の料金が安いこともあり、ウィーン市民は半年とか1年といった定期をもっているから、取り締まりは時折、駅の改札!?付近で駅員が横一列に並んでチェックするだけである。その時に有効な切符をもっていない人は結構な額の料金を徴収される。

尤もかつてパリでは自動改札を体育の跳び箱のように乗り越える人も多くいた。さすがに最近では乗り越えないような対策がとられているけれども。

ぱらぱらと見た斎藤氏の論考だが、タイトルから真っ先に想起したのは藤田省三「『安楽』への全体主義」。社会の雰囲気は相変わらず変わっていないのか。それともフロムが言うように個人主義が空虚なものになって自由から逃走することが近代社会の宿命なのか。