戦時下.....

残暑が厳しい。8月の猛暑、蝉の声や風鈴の音を聞くと、あの8.15と戦争のことに思いが及んでしまう。

先日某親友が8月15日について、非常に重厚な文章を送ってくれた。私自身15年戦争の体験はないが、日本国に生きる者として、あの戦争に「直面」すべきものを感じ、感じざるを得ない。

尤も戦争体験といえば、今は戦時下であるから体験中だとも言える。アフガンやイラクへの攻撃に加担することは、どのように言いくるめようと、戦争への加担としか言えない。

実際、莫大な経費をかけて自衛隊がやっているのは、恐ろしく効率の悪い水汲みだけではない。航空自衛隊は米軍および武器の輸送にも関わっている。これを戦争行為への加担でなくて何と呼べばよいか。

イラクの民衆が、中東の人々が、日本はなぜアメリカの味方をして我々を苦しめようとするのかという悲痛な叫びを、もっと重大に受け止める必要があるのではないか。

イラクへの戦争はまったく不当なものであるが、もちろんフセイン大統領の圧政を擁護するつもりは無いし、あの体制でいかに人々が苦しめられていたかは想像に絶する。

その反面、湾岸戦争後のイラク経済制裁や爆撃を加え、多くの一般市民を死に追いやった国の責任は重大だ。

とりわけ経済制裁イラクの社会的弱者を真っ先に打ちのめす。国力の減退を目的とする制裁は、圧政者に対する非難の声を国内的にも挙げさせるためにも必要だと一般に思われがちだが(昨今の北朝鮮のように)、そのような力の論理に諸手を挙げることはできないだろう(躊躇なく挙げる人も少ないだろうけれども)。

オウム真理教について丸山はあれが他人事ではないと感じると発言している。戦時中の日本全体がオウムだったんじゃないか、と。

つまり当時国内で通用しているものが、一歩、日本の外に出れば、まったく通用しないという事態は、現代日本の政治状況を考えてみても、未だにの感を持たざるを得ない。

もう少し客観的な視点で、自己(日本)が置かれている立場を見据える必要がある(丸山はそれを他者感覚の欠如とも言ったわけだが)。

また戦争体験が日本で語られる場合、往々にして日本国内での窮乏生活を指すのはその点で故なきことではない。

そこには日本のトップを含めて、あれほどの戦争を引き起こしたという責任意識がどこも見当たらないから、天災のように、ただ被害者意識が蔓延する。

陸軍の暴走もあるが、様々な状況に対して、ずるずるとそれを追認していった政治家は(もちろん反対派の動きもあったが)、内心では戦争には反対であったと戦後に述懐しながら、当時は日本国の総意がとか、会議では戦争反対を言えるような状況ではなかったとか、そのようなことを理由にして、自身の責任を免責しようとする。

その胸中は理解できる。が、誰もが望まなかった戦争が御前会議で決定されるという事態に直面し、何も言えませんでした、では困る。

一方で、昨今は国際的テロリズムを口実に無責任に強権的政治を行なおうとする政治家が多い。『兵士デカルト』を書いた小泉義之氏が指摘していたが、兵士として実際に戦争を体験した者(デカルト)は戦争に口を閉ざし、逆に戦争に従軍しなかった者(ヘーゲル)ほど戦争を口にしたがる.....。

最近1931年の満州事変からベトナム戦争が終わる1975年までを指して44年戦争という言い方をする者もあるらしい(他に50年戦争説とかいろいろあるが)。

確かに隣国の朝鮮半島では、日本の植民地支配の次には朝鮮戦争があり、そして軍政が敷かれ、1987年の民主化まで、常に緊張状態にあった。

日本は戦後、朝鮮戦争ベトナム戦争などを契機とする様々な特需によって経済的成長を続けていく。

誤解を恐れずに言えば、日本の経済的復活は何も日本人の勤勉性や平和主義の帰結であるわけではなく、日本の経済的成長を促進する国際的状況があったからである。

思えば、明治以後、たまたま欧米列強が国内的事情から日本を植民地化しなかったように(1871〜1873年岩倉使節団のように、革命政府の要人が大挙して国を空けて各国を回ったこと自体驚異であるが)、近代日本は独立国としての地位を守るための国際条件に恵まれていた。

アジアとの歴史認識の溝は、戦後についても果てしなく深いようである....。