江戸のことなど

近くに須賀神社というのがある。ここの祭り(天王祭)はかつて江戸五大祭の一つに数えられていたようだ。現在の江戸五祭とされる中で神田祭山王祭は江戸の祭りであったが、深川、根津、三社は江戸の外にあった。

三社祭では「セイヤ」という掛け声なのに対して、神田祭では「ワッセイ」(ワッショイ)が本筋なのは、各神社を支えた階層や氏子の問題らしい。

今の山手線内(皇居からほぼ北側)がかつての江戸であり、明治以後、江戸と呼ばれる範囲は一挙に広がる。江戸時代、江戸弁は徳川家の影響で三河の言葉に影響を受けていたが、明治以後は明治政府を担った薩摩長州の言葉が東京言葉に色濃く影響していく。

昔、天領(公方様の領地)だった佐久などの言葉を聞くと、いわゆる江戸弁よりは、もう少しゆったりとしていたように感じられる。言語学で何と言うか忘れたが、本国では失われた言葉も、他の地域に移り住んだ人々の間で純粋に保存されていることはよくある。

ブラジルの日本語、カナダ(ケベック)のフランス語など。最近アメリカ人の某知人に聞いたところでは、シェークスピア時代の英語が今のアメリカのどこかの地域の言葉に残っているとか.....。

江戸と聞くと、どうしても、某先生の日本政治思想史の講義が思い出される。学問的に恐ろしく厳密ながら、非常にスリリングな講義だった。

楽しいけれども、中身のない講義やセミナーが数多くある中で、某先生の講義は一線を画していた。宣長が称揚した「真心」のところでは、赤門前のお弁当屋さんのまごころ弁当(だったかな!?)を持ち出されたり、ユーモアに溢れながらも、軽いところはなく、毎回楽しみな講義だった。

講義の開始時刻前に教室に来られて準備をして、開始時刻を腕時計でチェックして講義を始められたところも異色である(たいていの先生は遅れて来られる.....)。

こう書いてくると、某先生がお亡くなりになった方のように勘違いしてしまうが、まだまだ現役の方である。