内村鑑三の非戦論

枕元に置いてある丸山眞男『戦中と戦後の間』をぱらぱらとめくっていると、「内村鑑三と『非戦』の論理」があった。

明治20〜30年に自由と民権と平和を希求した人々が相次いで国家主義帝国主義に吸収され、先導役さえ果たしたこと。丸山は「『しかある』ことと、『しかあるべきこと』とを区別した瞬間、その『リアリズム』は彼等の主観的意図を越えてしかある現実を正当化する論理に転じた」とする。

こうした「かつての同志の脱落を『ブルータス、お前もか』という思いをもって見詰めていたのは万朝報に拠る一団、すなわち幸徳・堺らの社会主義者と、キリスト者の中ではただ一人内村鑑三であった」。

理想主義者と現実主義者との対立は中江兆民の『三酔人経綸問答』に典型的に現われているが、理想論を捨て現実を直視せよと叫ぶ「現実主義者」が目前の現実にべったりと寄り添い、それを正当化することに汲々としている「現実」に鑑みると、こうした明治期の「転向」問題は他人事ではない事実を我々につきつけている(あ、丸山調)。

内村の非戦論は『朝鮮戦争の正当性』を英文で記したように、「日清戦争に際して燃え上がった彼の愛国的情熱が激しかつただけ、それだけ彼の失望と悔恨は大きく、それがそのまま戦争否定への精神的エネルギーに転化した」ことに拠る。

内村曰く、「若し無辜の人を殺さなければ達しられない善事があるとするならば、その善事は何でありますか……悪しき手段を以って善き目的に達することはできません、殺人術を施して東洋永久の平和を計らんなど云ふことは以っての外のことであります」(平和の福音)

「戦争が戦争を止めた例は一ツもない、戦争は戦争を生む……世に迷想多しと雖も軍備は平和の保障であると云ふが如き大なる迷想はない。軍備は平和を保障しない、戦争を保証する」(世界の平和は如何にして来る乎)

当然至極のことを語っているに過ぎないが、改めて首相や防衛庁の方々などにお聞かせ申し上げたい。

尤もこうした「当たり前」のことが様々な利害の絡まりあいからなる『現実』によって実現を阻まれ、逆にその『現実』が不合理にも『当たり前』のことにされてしまうという重大な事態。

戦争や飢餓、抑圧が常態化した『当たり前』の世界を「仕方なし」と認めるのが大人の態度であるとされるが(それはたいてい無関心の証左でもある)、それに影響を受けた子どもたちが「純粋に」その世界を体現するような行動をとると、少年犯罪が云々という話になって、またしても当の『当たり前』の世界の倫理性は問われない。

しかしながら、たとえ僅かでも「当たり前」の世界に近づけるように努力することこそが肝要ではないか。