カンチェーリ

午前、雑務をこなしていると、とつぜん強い雨が降り出した。雨が入ってこないように窓を閉め、これ幸いと大音響でスピーカーを鳴らす。

久しぶりにKancheliのStyx, Requiem for Viola, Chorus et Orchestraを聴く。2000年10月21日、ゲルギエフBPOのライヴで、チャイコフスキーの第5番がカップリングされている(録音された5番ではトップレヴェルの演奏)。

曲想は独創的としてしか形容できない。グルジア出身の作曲家(かのスターリンも同郷)なので、グルジア正教の雰囲気が強く感じられるが、単なる宗教的な音楽ではないし、無調の音楽でもない。民族音楽風でもない。合唱とオケ、ピアノが激しく響き合う点ではカルミナブラーナや禿山の一夜(合唱版)に似ているが、それほど分かりやすいものでもない。

語彙や形容が貧相なためか、「〜でもなし」という形でしか表現できない曲だったが、その後のチャイコフスキーの5番のなんと聴きやすいことか。

そういえば、先日友人から借りて見たチェイコフスキーのDVDでは、西欧とロシア(スラヴ圏)との文化的対抗を背景にしつつ、彼の音楽家としての経緯が上手に描かれていたな.....。

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お昼は、昨日戴いた、某幹事が軽井沢で作られた巨大ズッキーニ!(焼いてチーズをかけたり、塩茹でにするとよいと教わる)に、トマト、セロリ、パプリカ、豚肉のスパゲッティ。

夕食はアボガドとマグロをニンニク醤油で戴く。ニンニクの香りがとてつもなく強いが、味はよろしい。ついぱくぱくと食べてしまう.....。

ここ数日『自己内対話』からの一言を怠っていた。

「日本の場合。
 原理への忠誠が伝統化しない風土においては、思想と行動にたいする価値規準は、(イ)主観的動機の純粋さ(きよきこころ)と、(ロ)特定集団へのコンフォーミティ(集団的功利主義)-----その場合、集団や組織が客観的なものと考えられる-----との二方向に分岐する。(イ)(ロ)の価値規準をともに満足させる行動は、自己の属する特定集団のために純粋な(無私の)献身をささげることにある」(173頁)。

 (イ)に関する問題は「善から善が生まれ、悪から悪が生まれる」というナイーブな話ではなく、「悪が生じたとしても、動機が善であれば、許容される」世界観である(→腐敗政治家への選挙民の支持。)。

 (ロ)に関する問題は往々言われるように、精神のプロレタリア化を促し、多元的な価値を認めず、集団内でのしきたりや慣習が強要される世界でもある。

あ、ここまで書いたところで、急な仕事が入ったため、話の中途ながら....。