違和感

ちょっと必要があって読んだ渡辺喜美氏のプロフィール

 座右の銘はさまざまなミッチー語録。決断を迫られたとき「ミッチーだったらどう考えるか」と発想する。
 決断力、度胸、歯切れの良さは父親譲り。政治家を志したのは中一のとき。新人議員だった父の話に、カミナリに撃たれたような衝撃を受けたのがきっかけ。プロ野球選手になることを断念し、父と同じ道を歩むことを決意。柔道部に入り、行商人であった父の苦労を知ろうと新聞配達を始める。「繁栄した国家や文明は数あれど繁栄し続けたものは一つもない」という父の言葉を肝に銘ず。

スポーツ選手の自伝的な話によく出てきそうなことだが、昨今、自分の親を公的な場で褒め称える人が多いようで、どうも違和感が残る。

他人に話す際には、身内に尊称をつけないといった「伝統的な考え方」の影響もあるかもしれないが、上の渡辺氏のように、父親へのべた惚れな態度の表明には、自律云々を主張している割には、依存的=バランスを失しているように思われる。

みんなの党に胡散臭さを感じるのは、それが目指す価値というか理念が不明確だからだ。日産のゴーン氏が不採算部門を切り捨て業績が向上したかのように装ったように、民間活力をお題目に、改革のための改革に勤しんでいるように見える。

尤も、みんなの党が主張するような改革提言には、面白いものもいろいろある。

ただ民主制評価という点では、どうだろうか。最小のコストで最大のベネフィットを性急に求めているだけでは、戦前のファシストと同断だ。