リズム
昨晩は、お誘いいただいて、東京文化会館の小澤真智子ヴァイオリンリサイタルへ、久しぶりのコンサート。ちょうど8月6日ということもあり、祈りと情熱がテーマの演奏会(会場へ向かう途中、知り合い2人を偶然見かける)。
ヴァイオリニストの小津さんは何度かテレビで取り上げられたこともあって、昨晩は満席の状態(尤も楽章間で拍手が沸き起こった。これを嫌うクラシックファンもいるけれども、まぁ、いいんじゃないかと思う)。
後半はピアソラ特集。ヴィオリンを弾きながらタップダンスを踊るという技もご披露。活動の拠点であるニューヨークでは、昨晩のアルゼンチン人のベースとピアノの奏者とでCD録音もしている様子。
ヴァイオリンの弾き方も、ある種、独特である。体を揺さぶるのはよくあることだが、ちょっとラテン系が入っているというか。
演奏の技巧自体はアメリカ流で上手だと思う。問題は表現力とリズムである。表現力については、置いておくとして、リズムが問題だと言っても、もちろんリズムが合っていないわけではない。
ここで言うリズムはピアソラがベースにしているアルゼンチンタンゴのリズムである。ピアノとベースは、ところどころ縦の線が恐ろしくずれていても、さまになっている。対して、ヴァイオリンは、基本的に縦の線は合ってはいるのだけれども、全体的なまとまりにかける。
ピアソラの音楽でさえ、正統派のタンゴから見れば邪道なのだろうけれども、アルゼンチン人が演奏したときには独特のリズムが醸成される。
音楽の都ヴィーンであれば、ヴィーナーワルツのリズムとでも言おうか。その文化というか、地域というか、当の音楽が生み出された場所の独特のリズムがある。
それを体得するのは生半可なことではない。邦楽とクラシックの融合については、武満氏をはじめ、さまざまな作曲家が取り組んでいるが、果たして、あれはどこまで可能なことなのか。
クラシックの音楽的なリズムをひとたび会得してしまったら、邦楽(という曖昧な言い方をするが)のリズムを生み出すことは相当に難しい。
尺八や琴などを持ち出して、音色的に融合させることは可能だが、それは「新しい響き」をもたらすということではないだろう。
いや、「日本的な」リズムにクラシック音楽があわせることができたら、これはこれで面白いことになるが、小さな頃から西洋音楽のリズムで鍛えらえた人にはそれは到底不可能なことだ。
しかし何もリズム感というのは絶対的なものではないから、異種格闘技戦のようなコラボレーションのときに、存外面白いことも起きる。コラボレーションは安易であるという人も多いが、意外にそうでもないのではないかという気が最近している。
さて、仕事。