戦争の記憶

少し前までは、蝉の声がうるさいほどに聞こえてくると、それとは裏腹に、先の戦争の雰囲気が、体験者でないにもかかわらず「感じられた」。それは眼前の世界が妙に静まり返っているような、不思議な感覚だった。

それが戦後の教育なり、歴史認識のあり方に大きく影響されていたことは間違いないが、最近は、そうした感覚がずいぶんと薄れてきたように思う。

喉元過ぎればのように、、日常を送っているうちに、肝心なことが忘れ去られてしまうことは往々にしてあるし、現に世界に目をやれば、「戦争」が現在進行形のところも少なくない。

歌手の元ちよせがデビュー前から歌っていたという「死んだ女の子」を初めて聞いた。

トルコの社会派詩人/ナジム・ヒクメットの詩を、ロシア文学者/中本信幸氏が日本語に訳し、その訳詩を読んだ作曲家/外山雄三氏が作曲した楽曲。原爆の悲惨さと戦争に反対する切なる気持ちを、原爆の火に焼かれてしまった女の子に成り代わって歌った作品だ。

元ちとせは、デビュー前のデモテープ制作時からこの曲を歌いはじめ、その真摯かつ重いテーマを表現することに4年の歳月をかけて取り組んできた。そして、プロデューサーの森川欣信氏と元ちとせの熱いオファーを受け、坂本龍一がアレンジとプロデュースを快諾。ニューヨークでのレコーディングを経て、 2005年から毎年8月に期間限定で配信リリースしてきた。

曲としての完成度はそれほどでもないが、坂本龍一は相変わらず坂本龍一っぽい編曲になるなぁと感心する。

暑いお盆の時期に、広島の山奥へお墓参りに行ったことがたびたびあったこととも重ね合わさって、不思議な心持になる。