孔子さまの引越

昨日で年内の講義は終了。今年もあと10日ほど。。。

さて、高島『お言葉ですが:漢字語源の筋違い』中国語に歇後語(ケツゴゴ)というのがある。ひとかたまりの一種のなぞことばで、前半のみを言い、後半(後:ホウ)は言わない(歇:シエ)ので、歇後語と言うらしい。

たとえば、「孔子さまの引越(孔夫子搬家)」。「孔子は学者だから、引越荷物は本ばかり(全是書)。書(シュー:本)と輸(シュー:負け)は同音だから、負けばかり(全是輸)」の意になる。

中国語にはこうしたものが数え切れないほどあるらしい。意想外の結びつきをしているものほど優れているとのこと。

エドガー・スノーというアメリカ人ジャーナリストが毛沢東に単独インタヴューした際、毛沢東は、「まあおれなんぞは坊主が傘をさす(和尚打傘)だからね」と言ったそうだ。

これを翻訳したのが、中学高校をアメリカで育った唐聞生という女性。歇後語とは知らず、「私は傘を手に歩む孤独な行脚僧だ」と訳したらしい。

しかし歇後語の意味からすると、坊主が傘をさす→「無髪無天」。髪と法はともに「ファ」とほぼ同音なので、この場合は、「法もなければ天もない、つまり、法律も無視すりゃ天理(道徳)も無視する、ムチャクチャやりほうだい」の意味になるらしい。

唐の翻訳が世界に発表され、毛沢東の晩年のイメージとなったそうだ。しかし確か、毛沢東の暴露本が出されて、そうしたイメージはなくなったと思うのだが、案外、知られているようで、知られていない事柄なのだろうか。。。