もろもろ

昨日は、理論史研。一つ目の報告は、D.スチュアートの経済思想の全体像の把握にどう取り組むかという話。二つ目は、ノイラートの実物計算論をめぐって。

社会主義計算論争の構図が、ランゲ、ハイエク、ノイラートという風に描けるとすれば、現代では、それが環境経済学での新古典派、ハイエキアン、ノイラートという構図にも見られるという点など、興味深い。

市場の中では、貨幣がメディアになるわけだけれども、ノイラートのように実物経済で考えると、資源の有限性の認識や自然の限界の認識が当然のように出て来る。

またK先生のコメントが俊逸。ノイラートをめぐる知性史的な見取り図を描いてくれて、余談では、ヴェーバーが行なった社会主義の講演を聴いた人たちのことについて。ノイラートやミーゼスが軍隊に入って将校だったように、当時の将校たちがドクターをもっていた人たちだったとは。。。

さて、ネットで新聞を見ていたら、鷲田清一さんの「イデオロギー時代」の再来なのか」を見つける。氏の議論は、どうもいまいち腑に落ちることが少ないのだけれども、この記事のものは、すべて同意。

こちらの記事の内容は、昔、丸山が『現代政治の思想と行動』でだったか、言っていたことと同じだが、政治をめぐる情況が、まるで変わっていないことに愕然とする。。。