唐津

唐津とは謎であり、あるいは、空中に霧散してしまう如く、未だによく分からぬ焼き物らしい。

今日の午後のセミナーでは、昨今の韓国での発掘調査などから、次の如き状況らしい。すなわち3点に渡り、朝鮮半島に見られないものが唐津焼の特徴である。第1に唐津では連房式登窯、第2に叩き成形、第3に藁灰釉を用いることが挙げられるが、朝鮮半島では蛇窯などの窖窯であることなど、いずれも朝鮮には(ほとんど)見られないものであるという。

極めつけは、天正20年に壱岐の聖母神社に叩きによる茶壷が寄贈されているという記録がある。

これらを総合すると、唐津は秀吉が朝鮮の陶工を連れてきたことに出自をもつという、往々にして語られてきたことには再考の余地がある。

では、どこから唐津焼きが始まったか。唐津焼の3つの特徴を備えるのが浙江省福建省の窯で、おそらくは中国から渡来した陶工から日本の陶工へと技術が伝えられ、それをさらに朝鮮から来た陶工が練り上げたと見るのがよかろうという話。

唐津焼きをめぐっては、このように、一般に流通している話と異なる実情がいろいろあるらしい。

唐津は高取・上野から出ているし、柿右衛門は今右衛門の三軒隣の寺島から出ていたり、朝鮮唐津と呼ばれるものは薩摩、上野、高取から出ているといった按配。

興味深いのは、古田織部が茶会で好んで使ったものに、唐津焼があること。或る席では唐津焼のオンパレードがあるものの、一般に織部焼きと呼ばれる器にはそれほど執着していないと言う。

唐津などは志野の影響が濃厚である点、あのような素晴らしいデザインの焼き物が生まれてきたのだろう。桃山期〜江戸初期の美濃、唐津の向付などは、なんというか、恐ろしいほどの洗練さである。あの研ぎ澄まされた意匠の凄さは現代においても、余人の追随を許さぬレヴェルに到達している。。。

ともあれ唐津焼きとは、その由来を探ると茫漠たる霧の中に迷い込んでしまう、まことに不思議な焼き物であるということを今更ながら知って興味深く思った次第。