日本語のお勉強

メディアで目にした言葉を、鵜呑みにして憶えてしまっていることが如何に多いか。高島俊男氏の『キライなことば 勢揃い』をぱらぱらしていて、痛感する。

たとえば、「数奇」。まず読みにも世代の問題があるらしく、「すうき」と「さっき」があるらしい。「さっき」と読むにも根拠はあるらしいが、その説は中国で700年も前に「すうき」が正しいと決着しているにもかかわらず、なぜか日本では明治の文人らが「さっき」を読ませたがったために、古い世代では、「さっき」と読む人が多いらしい。

また「数奇」の意味内容は、「ついていない」ということだとは。。。中国では奇数が「ハンパで不安定」、偶数が「安定円満」と決まっているからで、このような意味内容らしい。決して、「めったにない珍しい運命」という意味ではないのだが、このままだと慣用の意味になってしまいそうだ。

「忸怩たる思い」。これもよく耳にする。意味は「自ら省みて恥ずかしく感じる」。しかし最近のメディアでは「腹立たしい思い」「憤懣やるかたない思い」という意味で使われている。これもいつの間にやら、そのように思い込んでしまった言葉のひとつ。

まぁ、さすがに「檄を飛ばす」の誤りは気づいていたが、ほかにも、こんな勘違いをしている言葉はたくさんあるのだろうなぁ。。。

そういえば、「四」の読み方については、意外だった。和語の数詞としては「よ(ん)」、字音(漢語系)の数詞としては「シ」。数詞は原則として、下につくのが和語だったら和語で読み、字音だったら字音で読む。

しかし「四」は問題なのだという。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に出てくる「玄米四合」は「ヨンゴウ」ではなく「シゴウ」。

明治初年には「四丁目」は「シチョウメ」、それ以前では「十四箇国」は「ジューシカ(ガ)コク」、「四十」(シジュー)、「四百」(シヒャク)、「四万」(シマン)、但し「四人」はさすがに「シニン」ではなく、「ヨッタリ」。また四日の類は「ヨッカ」。

玉音放送でも、「米英支蘇四国」は「ベ、エイ、シ、ソ、シコク」だそうで。

その意味では「シ」という言葉が「死」を連想するという類の話は、案外新しい話なのかもしれない。