マノン・レスコー...
K先生によると、イタリア・オペラと言えば、ヴェルディかプッチーニがその代表格らしい。
最近になって段々とオペラを「聴く」ようになった。ヴェルディかプッチーニかというと、なぜかプッチーニだ。あの世俗さがよいのかもしれないが、『ラ・ボエーム』、『トスカ』、『マノン・レスコー』はいいものだと思う。
ただ『マノン・レスコー』を観たことはなく、またイタリアでオペラを鑑賞したことも無い。
*いや、一度だけ、ヴェネツィアで、或る館の一室で開かれたオペラを観たことはあるが、あまりに詰まらなくて途中で出てしまった。開演前、急いでディナーをとったのだけれども、そこのレストランがまた美味しく、オペラを途中で抜け出してまた食べようと思っていたら、早くも閉まっていたのは返す返すも残念。。。
図書館で、マゼール/ミラノ・スカラ座の『マノン・レスコー』を借り出して聴いてみた。そもそもこの曲がいいなと思ったきっかけは「間奏曲」だったので、まず間奏曲を。
悲哀を漂わせながら、自由を謳歌する女性をイメージしてしまう間奏曲の曲想。結末にしても物語の基調にしても、まったく異なるが、『ティファニーで朝食を』を想起してしまう(もちろん映画ではなく原作の小説の方。しかしこのような見方は映画の方か)。。。
さて夏休みの週末はいずれもなぜか忙しい。ほとんど用事が入っている。今日も朝から出かけて、おそらく夜遅くの帰宅になる。
久しぶりにS先生のご自宅に伺うのは楽しみではあるものの、恐ろしい。思想的生き方をしているかと問われれば否と自問自答してしまう現状にあるからだ。
ともあれ、今日は小田実氏の葬儀が青山で開かれる。
行動する作家として尊敬に値する人物だが、彼が中心となって湾岸戦争後にNYタイムズに出した『国際紛争は武力では解決できない』という意見広告に見られる思想の高潔さと、最近の保守を自称する評論家や政治家の出した『事実』という意見広告に見られる思想の下品さはどうだろう。思想における恐ろしい落差に目を覆うばかりだ。
また「思想」が一つ消えていった。。。