「チョムスキーとメディア」

1992年に、カナダで制作されたDVDの続きを見る。

ベトナム戦争以来、MITの教授ながら、アメリカ政府を一貫して批判してきた稀有な知識人チョムスキーのメディア批判を、やや錯綜した展開ながら、余すところ無く伝えている。

今日見たのは、マスメディアがいかに人々の脳をつまらないものによって消耗させているかというところ。

スポーツや芸能のゴシップなどの当事者以外では実人生を豊かにするとはとても思えないニュース、それも異様に詳細なデータまでをも人々に提示してそれを知ることが重要であるかのように装うことが、人々の目を重要な出来事からそらす役割を果たしているという議論。

またポルポトによる大量虐殺と同時期の東ティモールでの大虐殺。一方のポルポトに対しては世界的な非難が沸き起こったのに対して、東ティモールについては、ほとんどのメディアが黙殺したという事実がある。

こうした対照的な事実が存在するということが、メディアの問題性を自ら明かすとチョムスキーは言う。

しかもポルポトが出てくる前提として、アメリカが行なった空爆があり、それへの反感からクメール・ルージュが人気を博したという事実が指摘される。

西欧諸国がインドネシアによる大虐殺を黙殺したのは、武器供与をおこなっていたということで、つまり各国政府とメディアは大義や人命などには関心をもたず、ひたすら利益だけを追っているのだというわけだ。

こうしたチョムスキーの議論を、メディア側は陰謀説だとか、単純な理論に基づく誤解だと批判していることをDVDでは取り上げているが、明確な意図と、また権力側に対するある種の配慮=行為選択の縮小とでも言おうか、そうしたものが働いていることにチョムスキーは大いに批判的であるというわけだ。

この点、フーコーとの対談も収録されていて、そこでは何を語っていたのかちょっと忘れてしまった。。。。

ともあれ、チョムスキーが指摘していることは当たり前のことだと言ってしまうのは簡単だ。しかしそれの含意は現実に直面すると、いかに広く深いものかがDVDを見ていると、実感できる。