焼き物と「正統」

丸山は、正統は異端を意識して初めて生まれると言った。これはあらゆる宗教芸術、運動に当てはまるだろう。

しかし社会の変化によって伝統技術が失われつつある中、これが正統だという主張も失われつつある。正統の代わりに、新しいものや似たものが雨後の筍のように登場している。

さて灰テク穴窯というのがある。
http://www.daichiku.jp/04hien/index.html

薪窯は確かに大変だ。しっかりとした窯を作るのも一苦労。毎年薪を割るのも一苦労(もうすぐ長野で薪割りだ....楽しみのような苦しみのような)。しかも問題はそれだけの時間とお金を投入しても、ちゃんと焼けるか分からない。。。

そこで登場したのが笠間の灰テク穴窯という商品。しかも名前も「窯元 古窯」。

12時間ほどで自然釉陶に似たものを焼成できる。燃料は灯油で灰は独自に開発されたもの(原料そのものは灰ではない)。

薪窯で焼いたのと同じような風情を手軽に再現できるようだ。

作品を見てみる。
http://www.daichiku.jp/04hien/works-01.html

焼き方は、以下のものがある。

■緋炎の焚き ■鬼神の焚き ■古龍の焚き ■彩炎の焚き ■炎備の焚き ■古窯の焚き

それぞれの焚きには、それぞれに適した土と燃料(灰)が決まっている。

この灰テク穴窯誕生に協力したのは奥田喜則氏。
氏の作品はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/qjqxc859/7839380.html

ふむふむ。なるほど。信楽なら谷さんが有名だが、奥田氏のは伝統的な信楽の焼きではない。おそらく信楽の新たな可能性を模索しているところなのだろう。

焼きのレヴェルは本松氏のお弟子さんのレヴェルくらいだろうか。要は焼き上がりをちゃんと考えないで、ただ激しく焼いているだけに過ぎない。炎を見て窯の中を判断する必要がないから、薪窯ではこれが一番簡単な焼き方。

それにしても、灰テク穴窯で焼いたものには不自然な雰囲気があって美しくない。自然釉らしい雰囲気は出ているが、灯油の熱の力で焼くため、土は生焼け。

原料が灰でないものを自然釉と名乗るのは大きな問題で、「自然釉作品専用窯」というネーミングは詐称と言われてしまうのではないかな。

灰テク穴窯の課題は、原料を灰にして、火の具合をよく確かめられるような工夫をもう少しすること。そうすると、よりよいものになる可能性はあるように思われる。

それにしても「本物」がますます縁遠いものになっていくのは、「伝統」という領域でこそ著しい。。。

さて研究会に行くべきか。雑用をこなしておくべきか。今決断しなければ....