意外なフットワーク

何が意外かというと、日本政府の動きである。アメリカがどれだけイラクで虐殺を行なおうとも、イスラエルがどれほど虐殺を行なおうとも(そしてその虐殺は現在進行形なのだが)、国連決議に訴えることはないのに、隣国で軍事訓練(実験)があると、鬼の首でもとったかのように騒ぎ立て、ミサイル配備を急ぐ、このフットワークの身軽さだ。

こうした同盟国!?への甘い態度と仮想敵国への異様に厳しい態度は国際政治の配置図が変われば、いとも簡単に旧仮想敵国への甘い態度へと変わる。

現在の日本は、同盟国の思惑や軍事産業の事情といった状況に流されるだけで、何の理念も信念も持ち得ていない。憲法9条は「状況」に抗する際の非常に重要な思想的拠点なのだが、昨今は時代遅れだのと言われて「改悪」の騒ぎである。

日常的なレヴェルで人の命に敏感な人々も、事が大きくなると、途端冷静さを失い、妙なナショナリズムに走ってしまうことは戦時中によく見られた光景である。

人の命に対して、もう少し敏感な感性を育まねばと自戒を込めて思うばかりだが、今回の日本政府のフットワークのよさをほんのわずかでよいから世界平和のために使えないものか。

もちろん一定の努力をしていることは認めるが、仮想敵国に限らず同盟国をも含めて、あらゆるミサイルや核の実験に否をつきつけるべきだろう。